十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記214

どうも、十九です。
昨日に引き続き、今日もそんなに調子がよくないです。
どちらかというと体より心の方がよくないかな。
運動と睡眠の不足が特に大きそうな気がします。
食事も多分足りてない。結局全部じゃねーか。
前はこういう日は布団から動けないでいたと思うんですが、
今日はなんやかんや掛け布団を洗濯したし、
ご飯を食べに行きがてら軽く散歩とかもしたし、
成長はしているんですよね。本当にえらいぞ私。
メチャクチャに天気がいいし、散歩っていうそれなりの運動もした。
でも帰ってもそんなに心は晴れませんでした。
となると運動だけじゃない何かしらの要因がまだあるんでしょうね。
悩んでもどうしようもない要因が殆どだと思うので、
ほどよく気にしつつ気を紛らわせるようにしたいです。
あとは、足りない部分を見つめすぎず求めすぎず、
いま足りている部分にも目を向けて、それを喜ぶ練習をすることです。
決して少ない量で満足して我慢しろということではなく、
足りない部分ばかりを見るなということです。
足りない部分が気になると、たとえ95%くらい満ちても、
その足りない5%にばかり気がいって満足できなくなったりします。
いい感じに生きていけるようになりたいですね。劄記します。






  【婚星・夜這星】よばい-ぼし
  流星りゅうせいの異称。〈季語:秋〉。
   枕草子(254)「星は…―、すこしをかし」
     ―広辞苑第六版より


夜這いというとなんかアレですけれど、
それについては劄記139でちょっと触れています。
「夜這い」は当て字で、元々「呼ばふ」とかから変化したらしいです。
でもなんでそれが流星のことになるんでしょうね。
あと出典にある「…」がよく分かりませんね。
その辺について書いてあるページがありました。
そこによると原文は、
「星はすばる。ひこぼし。ゆふづづ。よばひぼしすこしをかし。
 尾だになからましかば,まいて。」
というところから取ってきているようです。
「星は昴(おうし座のプレアデス星団)、彦星(わし座のアルタイル)、
 ゆうずつ または ゆうつづ(宵の明星)がいい。
 夜這星(流星)も少しいい感じ。尾さえなかったらもっといいのにね。」
という感じの意味だと思います。
でも流れ星といえば尾を引くものですよね。なんでそれがなければいいのでしょう。
その頃の日本では流れ星は、
恋しい人を思い続けた結果抜け出した魂が飛んでいく様に喩えられていたようです。
なるほど。それはまさに夜這いですね。思ったより夜這いじゃん。
だから、こっそり会いに行くならバレないように尾を引かない方がいいねってことらしい。
Wikipediaによると夜這いという古称や概念は万葉集で既に見られているらしく、
その成立年は759年とされています。けっこう前だね。
一方で枕草子は1001年頃には成立していたとされるようなので、
夜這星と名付けることに不自然な点はないように思われます。
思ったよりすてきな言葉でした。




  【恋の奴】こい-の-やつこ
  ①恋のとりこ。恋に支配されるさまをいう。こいのやっこ。
    万葉集(12)「大夫ますらおの聡き心も今は無し―にわれは死ぬべし」
  ②(抑えられない恋を擬人化し憎みののしっていう)
   恋のやつめ。恋の畜生。
    万葉集(16)「―のつかみ懸りて」
     ―広辞苑第六版より


やはり恋はどの国どの時代でも重大なテーマの一つですよね。
私も恋に関してはいろいろあります。詳しくは秘密。
①の意味と歌もなかなかに面白いものでもあるのですが、
②が特に惹かれますね。恋の擬人化ですよ。
擬人化といっても今みたいなああいうやつじゃないですけどね。
太陽のバカヤロー!みたいなやつでしょう。
いやしかし、気持ちは本当に分かります。本当に。
恋は時には最高の幸福を齎す薬になるのですが、
ある時には破滅へと導く劇毒にもなるのですよね。
それは恋する相手のせいって場合もなくはないんでしょうが、
大体は恋心を制する自分自身に起因すると思っています。
その制御がどれだけ難しいことか。簡単にはできないでしょう。
このごろ言葉狩りというか、差別的な言葉に配慮する時代になっていますが、
それでも「恋は盲目」という表現は言い得て妙だと思います。
もしその辺に配慮するならば、「恋の闇」または「恋の闇路やみじ」というのがオススメです。
その辺をいい感じにクリアしていきたいです。




  【不措】おくところをしらず
   措く所を知らず
  どうしてよいか分からない。じっとしておられない。
     ―広辞苑第六版より


今の私です。色々あって何からどうしようかって状態です。
あるいは、やるべきことというか問題点とかは分かっているけど、
今の状態じゃあどうしようもないって感じです。
だからどうしようもない状態をどうしようなかって感じ。
こうして「措」の字を見るとなんだこいつってなりがちですが、
実は措置の措だったりします。そういやいたねこんなやつ。
措置から連想されるように「措く」はすえつける、設けるとか、
さしおく、そのままにしておくとかそういう意味があります。
どう措置していいか分からない。措く所を知らず。
ひとまず今はちょい苦しい状態なのでなんとかしたい。




  【恒産なきものは恒心なし】コウサンなきものはコウシンなし
  [孟子(滕文公上)]
  一定の生業や収入のない人は常に変わらぬ道徳心を持つことができない。
  生活が安定していないと精神も安定しない。
     ―広辞苑第六版より


うわ。うわうわ。めちゃくちゃ図星な言葉を見つけてしまった。
というかこれは多分だいたいの日本人にあてはまる気がします。
お金と愛とどっちが大事?みたいなこと言ったりしますが、
どっちも大事です。一方に決めてしまうのはナンセンスです。
でも強いて言うなら、今の社会じゃお金がないとけっこうな制限がかかります。
特に今なんか消費税が10%もありやがりますから、
ふとした瞬間にお金がゴリゴリ減っていくんですよね。
それで食べ物を買おうにも増税のあおりを受けまくって、
値段の割にそんなに量を食べられないとかいろんな悪循環が発生しまくる。
貧しい人が更に貧しくなっていくという状態です。
清貧を楽しむみたいな好尚なことができる人はそうそういません。
今なんか特に便利で高品質な品物やらサービスやらに溢れていますし、
十分な財産がないことには安定した生活や心を手にするのは難しい。
まずはお金、次に心と時間の余裕が大事ですよね。超大事。
私もバイトとかをして小遣いくらいは自分で稼ぎたい……とほほ。





疲れてるし心の元気がない割にはなんか妙に筆が進みました。
内容とか文体はどことなく暗い感じになっていますが、
それなりに面白い内容にはなったんじゃないでしょうか。
元気がないとき、私はこういう言葉や成語から元気を貰うことがあります。
特に成語って、先人の知恵とか経験の塊ですもん。
そういう貴重な教訓が端的に、かつ奥深く示されている。
その姿に倣うことで、私の道を切り開こうとするのです。
まぁそういうことするのもいいですが、ちゃんと休みましょう。また次回。