十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記156

どうも、十九です。
今日は学校に行って家の最寄り駅まで戻り、
それで歯医者に行ってまた学校に戻りました。
いろいろ移動したりとかしたけど、
いろいろあって楽しい日となりました。
私はどちらかといえばクラシックを聴く方ですが、
訳あってバンドのライブに行って参りました。
あれはあれで自由で楽しい音楽ですね。ノリノリ。
別にポップスが嫌いとかではないですよ。
昔はそれなりのボカロ厨やってました。懐かしい。
色んな世界を食わず嫌いせずに摂取するのもまた大事ですね。


それはそうと4連続劄記ですよ。これまた珍しい。
昨日の記事にも書きましたがなんと8月以来だそう。
私にもそれだけブログを書く余裕とかができたってことなのかな。
いや、睡眠時間を整えだしてまだ3日目とかですけどね。
でもこうやって少しずつ続けられるといいな。
そういう感じで劄記していきます。




  【松の言の葉】まつ-の-ことのは
   (古今集の序に「松の葉の散りうせずしてまさきのかづら長く伝はり」
   とあるのに基づく) 和歌の異称。
     ―広辞苑第六版より


古今集古今和歌集のことですね。その序文(仮名序)に由来するとな。
適当に調べたらこんなブログが見つかりました。引用させて頂きます。

人麿亡くなりにたれど、歌のこととどまれるかな。たとひ時移り事去り、
楽しび悲しびゆきかふとも、この歌の文字あるをや。青柳の糸絶えず、松の葉
の散りうせずして、まさきの葛(かづら)長く伝はり、鳥の跡久しくとどまれ
らば、歌のさまをも知り、ことの心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとく
に、いにしへを仰ぎて、今を恋ひざらめかも。

人麿は亡くなってしまったが、和歌の意味は世に留まっていることだ。たとえ
時が移って今が過去のことになり、喜びが失われて悲しみで満たされた世に
なったとしても、このさまざまな和歌を記した文字は在り続けるではないか。
この文字が(松の葉のように)散り失せることなく、(柾木の葛のように)
永く伝わり、(鳥の足跡のように)久しく残っていたならば、和歌の姿をも
知り、和歌の心をも得ていると思われる未来の歌人は、大空の月を仰ぎ見る
ようにして遠い昔を敬い、『古今和歌集』が編まれた今この時を想い慕わない
ことがあろうか。


上の意訳だとなんか消えちゃってますが、
言葉をそれぞれ青柳の糸、松の葉、柾木の葛、鳥の足跡に喩えてるんですね。
もうちょっと調べたら、これ多分みんな枕詞なんですね。
「青柳の」は「かづら」「いと」にかかり、
「松の葉の」は「いつともわかぬ」「散りうせず」などにかかるとか。
他のはよく分かりませんでしたが、なんかセットになりやすいのかな。
特に松の葉は常緑で長生きな感じですし、
末永く世に伝わる歌として松はピッタリですね。素敵な言葉だ。



  【瞰下(ろ)す】みおろす
  上から下の方を見る。
  「庭を瞰下すと、庭にが樹から樹へ紐を渡して
   襁褓おしめが幕のやうに列べて乾してあつて〔平凡〕」
     ―新潮日本語漢字辞典より


いいですね。こういう当て字も好きです。
別に「見下ろす」でも何の問題もないんですけれどね。
「瞰」といえば「俯瞰」「鳥瞰」「瞰視」のように、
上から下の方を眺めるような熟語として使われますよね。
だからそれを使って「俯瞰みおろす」とか読ませても問題ないと思うんです。
でもこれは「瞰下ろす」なんです。あくまで「る」としか読ませない感じ、好き。
あとこれは文脈でも読み方が分かると思うのでそういう面でもすてきです。



  【巳の時】み-の-とき
  ①昔の時刻の名。今の午前10時頃。みのこく。
  ②(1日の半ばである午の刻より前であるからいう)
   物の新しいこと。
  ③物の盛んなこと。
     ―広辞苑第六版より


午の刻がいわゆる正午なので、そのちょっと前。分かりやすい。
日が一番高く昇るちょっと前の、そういう栄える予感をさせる時刻ですね。
物事の新しい頃といえば「黎明」なんて言葉はよく聞きますね。
そちらは明け方とか夜明けのことを指します。これも分かりやすいね。
でも巳の時は巳の時でなんか面白そうです。すでに夜は明けてるしニュアンスが違う。
ちなみに「巳の時過ぐ」という慣用句もあるそうで、
「盛りをすぎる。使い古す。」という意味だそう。これも使いやすそう。
Twitterとか見てると常々感じますが、
色んなムーブメントが起こってはいつのまにか廃れていくんですよね。
それがすごい速さで入れ替わっていくんです。ちょっと油断すると遅れる。
常に色々なコンテンツが巳の時を迎えては過ぎていってるんですね。
情報を出す側も受け取る側もなかなか大変な時代になったもんです。



  【瞪】みはる・みひらく
  みはる・みひらく。目を大きく開く。見開く。
  「聞けば聞くほど、お種は驚愕おどろきの眼をみはつた〔家〕」
  「後悔のしりに立ちて今更の血眼をみひらき、
   草を分けて、河原をおこしても、其の行方を尋ねんと為るにあらざるなし〔金色夜叉〕」
  ◇「みはる」は「見張る・瞠る・睜る」とも書く。
   「みひらく」は「瞠く・睜く」とも書く。
     ―新潮日本語漢字辞典より


「瞠る」は知ってたし割と一般的な読み方だと思うんですが、
それ以外の奴らは初耳です。勉強になりました。
新漢語林曰く「瞪」は「瞠」の同字だそうです。
同字というのは読んで字の如く同じ字です。形は違うけど読みとか意味が一緒。
さすがに「睜」は別字っぽいですが、ちゃんと「みはる」みたいな意味があります。
いいですね、「瞠く」。「みはる」かと思いきや「みひらく」。
これも文脈によっては推察できそうですね。いつか使ってみたい。
「見開く」といえば個人的にはドーナツホールです。ハチ(米津玄師)の曲。

 最後に思い出したその小さな言葉
 静かに呼吸を合わせ目を見開いた
 あなたの名前は

って感じの歌詞で終わります。「目を見開いた」が反復して歌われるので印象的です。
「静かに呼吸を合わせ目を睜いた」
……うん、なんか雰囲気出るね!!!!!




4熟語ですが連続して更新すればそれなりの数を紹介できますね。
この劄記は果たして何日継続してくれるのでしょうか。
こないだしくじって30日くらい続いた更新を絶やしてしまいましたが、
気付いたらもう25日くらい続いてるみたいです。早いな。
以前打ち立てた50日くらい連続もまた抜かしていきたいですね。
なんだか調子が出てきた気がします。このまま健康まっしぐらだといいな。
ちなみに今日は帰りが遅くて、現在22:25です。
22~23時に寝るチャレンジをしているのですが、
今日はちょっときつそうですね。帰り遅かったんでそういう日はしょうがない。
でもできる限り早く寝ますよ。健康のためにね。
そういうことなのでそろそろおいとまします。また次回。