十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記236

どうも、十九です。
なんやかんや言ってそんなに更新できてないですね。
ふと月別アーカイブを見てみたのですが、
もう記事数が全く違いますね。
2019年はほぼ30に近い数の記事が毎月書かれていましたが、
2020年の3月を最後に突然更新がものすごく遅くなりました。
まぁ色んな意味で環境が変わりましたし、
色々と仕方がないことではあります。
なんか最近毎回そういうこと言ってんな。


最近の話題で言うと、リングフィットアドベンチャー最高って感じです。
あれをおよそ週3ほどでやってますが、
まぁなんというかみるみる体力がついてきた感じがあります。
運動する際の体力ももちろんそうですが、
日常生活で何かしら動く際にも体力が必要になってきますよね。
学業でも移動でも家事でもなんでもいろいろ。
特に私はクリエイティブな方面のことを学んでますので、
取り分けその辺の基礎体力とかエネルギーが重要になってきます。
で、体力がついてきて生活において活動できる時間が増えてきたんです。
今までならグダーっとしてた時間までなんかちゃんとした行動してるんですよ!
グダーっとしてることは必ずしも悪くはないんですけどね。
そうして迎えた新学期なのですが、まぁなんか以前より活動的にできました。
しかし元から精力モリモリな人間ではないので、
そのへん忘れて動きまくると反動がどうしても来てしまうのです。
始業した週の日曜あたりから次の月曜日にかけてちょっとダウンしました。
スタートダッシュで調子に乗りすぎましたね。うっかり。
でもまぁそうなることも分かったのでゆるやかに動いていきたいです。
劄記していきましょう。





  【口の思惑】くち-の-おもわく
  接吻。
  傾城禁短気「人なき所にては、―迄は済ませて」
     ―広辞苑第六版より


なるほど、なんだか素敵な言い回しですね。
キスを指す日本語って口づけと接吻くらいしか思い当たりませんが、
なんだかこういうオシャレな言い方があるもんなんですね。
例文の出典である傾城禁短気は1711年の浮世草子だそうです。
年号は正徳元年、江戸時代に当たるようです。
音楽でたとえるとヴィヴァルディの『四季』が書かれた年が近いです。
1716~1717年に書かれ、1725年に出版されたそうです。
江戸時代ですから、まだ外来語とかその訳語はそんなに生まれてないかと思います。


ところで「思惑」というのは当て字なんですよね。
「ク語法」というのがあって、連体形に「ク」を付けることで名詞化する語法です。
「言ふ」に付けると「言はく(曰く)」になり、
「恐る」に付けると「恐らく」になるようなやつです。
「〇〇言はく」は「〇〇の言うことには」というような意味になります。
それが「思ふ」に適用されると「思はく」になり、
「思うこと(には)」という意味になったものなのです。
で、なんやかんやあって「思惑」という当て字がなされました。
口の思うこと…… なんだか素敵ですね。すき。
ちなみに「思惑」には「恋い慕うこと。また、恋人。」の意味があるそうな。
目も口も正直なんでしょうね。




  【風雲月露】フウウンゲツロ
  世間の人になんのためにもならない、
  花鳥風月ばかりを詠じた詩文をいう。
     ―新漢語林より


字面は非常に綺麗なのですが、意味がだいぶ批判的ですね。
まぁ確かにどんなに美しい詩があったって役には立たないですよね。
「役に立つ」がどういうことを指すかを明確にしなきゃいろいろ面倒なことになりますが。
本当に「役に立つ」ことばかりをしていたら結局破滅に向かうと思っています。
一見無駄に見える事象も色々と繋がりを持っているんですよね。
必要なことしか身につけてこなかったら、
もし今まで必要じゃなかったことを求められた時に何も分からなくなります。
他の無駄なことから得た知識を流用することもできませんし、
今までの必要だったことの中からなんとかやりくりせざるを得ません。
それで十分なところもあるんでしょうけど、いずれ限界が訪れると思います。
そういう一見無駄に見えるような知識やコンテンツなどって案外大事です。
うまく論理的にそのへんを確信していないのが痛いですが。
ですから、役に立たない絵画とか詩とか音楽だって重要なんです。
すぐにはためにならないようなものを愛でる心、
ひいてはそういうのを受け入れる余裕を持っていきたいものです。




  【甘草の丸呑み】カンゾウのまるのみ
  かみしめてその真味を味わわないことのたとえ。
     ―広辞苑第六版より


「味あわない」は誤った活用であるとされています。注意。
肝臓を丸呑みしてたらやべーやつですが、これは甘草です。
別名をワスレグサというヤブカンゾウも仲間かと思いましたが、
こちらのカンゾウは「萱草」と書く別物らしいです。ややこしいな!
本題の甘草の方は漢方として鎮痛・鎮咳剤に用いられ、
醤油などの甘味剤としても用いられたそうです。
甘い草とか書くくらいですし甘いんでしょうね。
こちらの日本漢方生薬製剤協会の解説によると、
ショ糖のおよそ150倍の甘味を有するといわれているグリチルリチン酸を多く含むそうです。
Wikipediaにあるグリチルリチンの項目を見ても、
最初に甘草の根に含まれる有効成分である旨が記載されていますし、
これが甘草のアイデンティティと言っても過言ではないでしょう。
そういう自然由来で古来から使用されていて、
とにかく甘くて(多分)味わい深い草を丸呑みするんですよ。
あー!噛めば噛むほど甘みが出てくるのに!もったいない!
ってなりますね。多分。それはもうちょっと味わうべきですね。
最近のコンテンツって割と気楽に摂取できるものが主流な気がします。
じっくりと腰を据えて楽しむものが時代に合わなくなっているのでしょうか。
こういう意見もかなり偏見が入っていると思うのであてにしないでくださいね。
なかなか面白い言葉ではありますがいかんせん甘草が身近ではないんですよね。
何がいいかな。身近な味わい深いもので、丸呑みしても不自然じゃないもの。
ワインの一気飲みとかでしょうか。ワインはのどごしだ!とか言うやつ。
私はお酒がそんなに好きじゃないしワインも飲んだことないので知らないですけど。




  bliss /blís/
  名:🅄🄲《文》無上の幸福[喜び](great happiness)
    《ecstasy は我を忘れるほどの喜び, blissは心の平静を保つ精神的喜び》
  動:《◆成句で》.
    bliss out
    《主に米略式》[自]幸福感に浸る.
    ━[他]〈人〉をすごく幸せにする.
     ―ジーニアス英和辞典より


たまには英語からも持ってきます。たまというか稀ですが。
エクスタシーの対になっている感じなんですね。面白い。
エクスタシーはけっこう浸透している外来語ですが、
ブリスは全くそんなことはなさそうですね。使ってみたいのになぁ。
いわゆるオタクの方々とかにはかなり便利そうな言葉だと思いますけどね。
普段から推しが尊いとか言ってるような方々です。偏見かな。
用例には、 "a sheer [pure] bliss" (この上ない喜び)
"wedded [domestic] bliss" (結婚の[家庭の]幸せ)
"Ignorance is bliss." (無知は幸福である;知らぬが仏)
というのが載っていました。無知は幸福である。言い得て妙です。
これは確かにエクスタシーじゃないですね。
知らないぜぇぇぇぇ!!??!?!!イエェェェエェェみたいな人いたらこわいです。
私は人を積極的に褒めたり優しくしたりしてそういう幸せの連鎖を生もうとしている人なので、
これからも程いく自他ともに bliss out していきたい所存です。





今回は4単語の紹介でしたがそこそこ気合いの入った紹介になったと思います。
久しぶりだからか題材がよかったからだか。たのしい。
筆が乗ったおかげで予定が30分くらいずれました。まぁそういうこともある。
そういう時は後書きはさっぱりやるに限りますね。毎回そうか?
それではまた次回お会いしましょう。