十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記103

どうも、十九です。
今日は!!!寝坊!!!!しました!!!!!
いやぁ朝と月曜日に弱すぎますね。なぜだ。
マジ許すまじ月曜日。まぁ最近がんばってたし仕方ないってことで。
「土日にいっぱい休むんだからなんで月曜に元気ないの?!」
みたいなこと言ってる友人がいました。その発想はなかった。
休むけど……休めるけど…… 足りなくないですか?
5日分のがんばりを2日で取り返すって冷静に考えておかしくない?
しかも人や場合によっては休みが1日かあるいは0のこともありますよね。
どうなってんだ。そういや今までどうやって生きてきたっけ。
人とか社会って不思議ですね。こういう理不尽(?)とは一生闘うものでしょう。
まぁいいか。今週もほどほどに頑張っていきましょう。劄記します。



  【軒輊】ケンチ
   (「軒」は車の前が高くあがること、「輊」は車の前が低くさがること)
  ①あがりさがり。高低。
  ②優劣。軽重。
     ―広辞苑第六版より


そういや「軒」って家に関するイメージの言葉だけど、
なぜか車が部品に入ってますね。どういうことだ。
かるーく調べてもよくわからないので教えてえらいひと。
それで優劣を表す語はなんかありそうだけど、
あがりさがりとか高低を表す語って意外とないんじゃないだろうか。
私は心と体の調子にかなり軒輊がある人間なので、
これから積極的に使っていこうかしら。たぶん使わない。



  【戯論】ケロン
  たわむれにする議論。無意味で利益のない議論。
     ―広辞苑第六版より


こういうのいいですよね。これができる友人を増やしたい。
気が合いそうだと思った友人にほぼ必ずする話があるのです。
コーヒー牛乳ってあるじゃないですか。私はあまり好きじゃないですが。
コーヒー牛乳って言うからには牛乳が本体なのでしょう。
日本語って後にくるものが主体になるので。
踏むことは絵踏だし、踏まれる絵は踏絵でしょう。だいたいそう。
ってことはコーヒーが本体ならば牛乳コーヒーになる筈なんです。
じゃあコーヒーと牛乳の割合が完全に同じならどう呼称すればいいのかって。
これには結論はないっていうか求めてないです。完全なおふざけなので。
大喜利の題目みたいなもんです。なんか面白い答えを用意してくれっていう。
くっだらないことについて語り合いたいもんですね。
子供みたいに下らないことを、大人の知識なども使いつつ全力でやりたい。



  【衒耀】ゲンヨウ
  ほまれを得ようとして、自分の才学をみせびらかすこと。
     ―広辞苑第六版より


「奇をてらう」とか「衒学的ゲンガクテキ」とか言いますよね。
前者は変わったことをしてみせびらかすようなニュアンス、
後者は学があることをみせびらかすようなニュアンスだと思ってます。
前者を「〇〇的」って言いたかった場合に、「衒学的」だとニュアンスが違うんです。
学があるとかじゃなく、単純に変わったことをみせびたかす感じを「〇〇的」と言いたいんです。
そうした場合この熟語がまぁ近いんじゃないかな~~と思いました。
他に「衒異ゲンイ」というのもありました。
「人と異なりすぐれていることをてらい示す。」だそうです。あれ、こっちじゃね?
ともかく私は「衒耀的」「衒異的」というのは文面で使うことになりそうですね。
衒異的にじゃなくて、単純に変わって優れて評価される人間だといいな、私も。



  【極楽願うより地獄作るな】ゴクラクねがうよりジゴクつくるな
  極楽に往生することを願うよりも、
  この世で悪因を作って地獄に落ちるようなことをするな。
     ―広辞苑第六版より


つい忘れがちだけど大事なこと、みたいな感じですね。
勝負も、どうやったら勝てるかよりどうやったら負けないかを考える方が、
時には重要だったりもしますよね。場合によるけど。
どうやったら成功するかよりどうやったら失敗しないかみたいな。
何度も何度も失敗して、こうしたら失敗するというのを学び、
その失敗する道を回避し続けた結果に成功に辿り着くみたいな。
人生も、漠然と極楽往生を願い続けるよりも、
こまごまとした地獄に行きかねない悪行を回避した方がいいんでしょうね。
キリスト教の予定説みたい……と一瞬思ったけれどけっこう違うわ。




今日は月曜からあまりよくないスタートを切ったので調子があまり芳しくないです。
でも一応それでもやれることはやったし、ブログも書きましたぞよ。
4熟語の紹介だけど十分でしょう。やれることをやろう。
現時点でやれることをゆっくりと着実にこなしていきましょう。
心と体の健康のために、よりよい人生のために。また次回。