十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記213

どうも、十九です。
今日は雨でした。やっぱ気候変動がすごい。
調子は悪くはなかったのですが、
やっぱりちょっとエンジンがかかりづらい感じでした。
そのまんまだらーっと過ごしても全然いい日でしたが、
いや!そういう日だからこそ動こう!と思いまして。
調子が優れない時ってだいたい食事・運動・睡眠のいずれかが不足してます。
気候とかそういうどうしようもない条件もありますが、
私の場合はだいたい運動不足も合わさっていることが多いんです。
そういうことなのでラーメンを食べがてら散歩しました。
知らない道をひたすら通りまくってきました。
少し前も似たようなことをして、
「あ、ここに繋がってたんだ!」という道を発見したのですが、
更にその道に繋がる道を発見して、
「あ、!ここに繋がってたんだ!」となりました。たのしい。
おかげでそこそこの調子で雨の日を過ごせました。
そういう感じで劄記していきます。あんま時間ないけど。






  【豪釐千里】ゴウリセン
  ほんのわずかの誤りが、ついには大きな誤りとなること。
  〔史記、太史公自序〕之豪釐これをゴウリにうしなえば差以千里たがうにセンリをもってす
   ➡ほんのわずかな違いが、先に行けばものすごく大きな隔たりとなる。
     ―新漢語林より


上の説明文の編集がけっこう面倒でした。
この言葉、かなり実感ありますね。たまによく感じる(?)。
特によく実感したのが小中学校の図工や美術ですかね。
夏休みとかででかいポスターとかを描かされるじゃないですか。
あれでパースというか大体の構図を決めるために、
画用紙に直線を引くことがあると思うんですよ。
でも画用紙サイズの定規なんて持ってないし、
なんとかいろいろ工夫してゴリ押しで直線を引くと思います。
そこで、定規を段々ずらしていって直線を引いたことあると思います。
それすると高確率でずれますよね。思ったよりずれる。
できるだけ定規いっぱいの線を引いて、
それに沿ってまっすぐ延長するように定規をずらしているつもりなのに。
豪釐千里の思い出です。




  【陰の舞】かげ-の-まい
  見る人のいない所で舞うこと。骨折りがいのないたとえ。
     ―広辞苑第六版より


なんか必殺技っぽいですね。ハリケンジャーになかったっけ?
ありましたわ。「超忍法・影の舞」だそうです。あれ大好きでした。
忍風戦隊ハリケンジャーは忍者がモチーフとなったスーパー戦隊ですが、
影の舞をするとまず障子が閉まって、登場人物を障子越しに影で見る感じの演出になります。
その状態で殺陣をしてバッタバッタと敵をなぎ倒します。超かっこいい。
それもいいですけど、今は陰の舞です。カゲ違い。
影も陰もまぁシャドウというか、光が遮られたときの写像みたいなやつを指しますが、
とりわけ陰は物陰とか、見えない部分みたいな意味合いが強いですね。
このごろコロナの影響で、無観客試合だとか無観客演奏とかが発生してますね。
配信で見られたりしているから陰かどうかは怪しいですが。
でもその場に客がいるかいないかって、舞う側にとってはとんでもなく空気が違います。
コロナの影響を受けている方々が陰の舞にならないことを祈るばかりです。




  【和草・萎草】ぬえ-くさ
  しなやかな草。しおれた草。なえた草。
  女のしなやかなさまの形容に用いる。
     ―広辞苑第六版より


私、「ぬ」好きなんですよ。ぬ。
なんか神妙な雰囲気がして好きです。前も言ったっけ。
そんでぬえですよ。ぬえ。もう神妙不可思議。
鵺と同じ音というのもありますよね。いい。
そういう雰囲気を持った感じの草ですよ。
で、それが女性のしなやかさの形容に用いられる。
うーーーん。ほどよいつややかさやしなやかさを連想する。
そういう音がする。なんか分かりません?分かれ。
とか言いつつも私もよく分からないで書いてます。
書いていて4割くらい「何言ってんだこいつ」ってなってます。
でも「ぬ」の音が好きなのはマジです。何の話だ。





0時が迫っているのと早寝したいのとあと色々あって、
なんか最後の言葉が謎のノリで雑に締められてしまいました。
しかも3熟語の紹介となっております。ごめんね。
劄記し始めたのも遅いしまぁそういう日もあるということで!
ひとまず今回はこれでおいとまします。また次回。