十九綴

tsudzu-tsudzuri

箚記178

どうも、十九です。
いろいろあるので今日は先に記事だけ立てて、後でゆっくり更新します。
……と書いてこの日の0時過ぎに更新しようと思ったんですが、
結局いまこれを書いているのは翌日の20時です。
こないだもズルしましたし、これはもう限りなくアウトに近いですね。
年末で帰省してていろいろあるので見逃してつかーさい。
そういう事情もあるので前書き抜きでもうさっさと箚記します。




  【行遠必自邇】とおきにゆくにはかならずちかきよりす
  遠きに行くには必ず邇きよりす
  遠方に行くには必ず近い所から始める。
  何事も手近な所からやるべきだということ。〔中庸〕
     —新漢語林より


紹介したか忘れたのですが、似た言葉で好きなのがあります。
「道は邇きに在り 諸を遠きに求む」という言葉です。孟子の言葉のはず。
近くの問題について反省するべきはずなのに、それを遠くの所に求めてしまいがちである、
という感じの意味です。やっちゃいがちですね。耳が痛い。
悩むとか行き詰まるとか、あるいは失敗することとかって実は悪いことでもないんですよね。
いや、場合にもよりますけどね。おそらく多くの場合はです。
このままではよくない、もっとよくできるはずだと思うから悩むのです。
それは向上心の裏返しというか、より高い自分の能力を信じているからでしょう。
もっと自分はできると思うからより高遠な理想や反省を掲げてしまうのです。
そうして己の目指す道をわざわざより近づきがたいものにしてしまう。
落ち着いて考えれば分かるのかもしれませんが、
なかなかその場面に当たると自覚しにくいものです。
千里を走れる馬がいたとしても、一日で千里を走るのは無理な話でしょう。
掲げる理想と今の自分とのギャップに向き合うのは辛いかもしれませんが、
それを解決する最善の策はひとまず少しずつ歩を進めることなのでしょう。



  【汗漫】カンマン
  ①遠く広いさま。水の広々とした様子。
  ②しまりのないさま。
  ③うわっ調子で真実味のないこと。
     —新漢語林より


カンマンといえば緩慢ですよね。②とかまさにそれだし。
でも③はなかなかいい感じですよ。あまり見ない。
荒唐無稽とか妄言そのものを意味するような言葉はあるんですが、
真実味がなさそう、という形容ってあまり見ない気がします。
あ、コイツ怪しい話をしてるな、みたいな感じの。
そんな時にこの汗漫ですね。コイツ汗漫な話をしてやがるぜ!
漫はともかくなぜ汗なんでしょうね。やっぱり緩慢なのかな。



  【山のことは樵に聞け】やまのことはきこりにきけ
  何かを尋ねるには専門家が一番よいということ。
     —広辞苑第六版より


餅は餅屋と似てますが、ややニュアンスが違いそう。
餅は餅屋は「やることは専門家がやった方がいい」みたいな気がします。
広辞苑いわく「物事にはそれぞれの専門家がある」だとか。
それに基づくとニュアンスや使い方は違いますね。
今はググれば大概の情報が得られる社会になってきています。
それでも正確性に欠ける情報が流布していたりだとか、
個々のパターンにうまく合致しない情報が出てきたりします。
私も肩凝りとかガチガチな部分をどうにかしようとストレッチを調べていますが、
このストレッチが果たして効果的なのかとか思います。
やはりお金を払うなりしてちゃんとした情報を得ようかと思ったりもします。
色々なものが基本無料になってる時代ですしね。
情報にお金を払うということに抵抗が強くなっている節があります。
こういう時こそちゃんとお金を使うべきだなぁとつくづく感じます。

 



ズルしたあげく3熟語で切り上げることにしました。申し訳ない。
でもまぁそれなりに教養めいた内容(?)を含めたので…
なんでもないです。今度はちゃんと更新したいな…また次回。