十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記53

どうも、十九です。
ここ最近まったく曲のアイデアが湧かなかったのですが、
今日はなんか突然書けるようになったのでちょこっと進めました。
いわゆる降ってきた、に近いやつです。本当にあるんですよ。
フレーズがガンッと降ってきたとかではなく、
なんか適当にピアノ弾いてたら良い感じの音の流れを発見したって感じ。
おおよそのアイデアの断片が誕生したので、あとはそいつを展開してやるだけです。
その「だけ」が難しいところなんですがね。創作における神髄です。
スラスラ~っと筆が進む日もあればそうでない日もある。
振れ幅がありますが、熟練するとそれも減っていくんでしょうかね。
とにかく何事においても継続を目指したいところ。
このブログも継続の手がかりになればと思って続けております。
それでは劄記していきます。



  【不拾遺】おちたるをひろわず
   遺ちたるを拾わず
  道路に落ちている物さえ拾わない。
  ①道徳が世に行われていて、人の心がきれいなこと。
  〔史記孔子世家〕
  ②法令がきびしく、民の刑罰をおそれることのはなはだしいこと。
  〔史記、田敬仲完世家〕
     ―新漢語林より


落ちてるごみとか拾う方が人の心きれいじゃない…?って思ってしまったけど、
たぶん時代的に落ちてる金目のものとかを拾わないっていうことですかね。
なんか時代でニュアンスが変わってくるというのも面白いです。



  【怙恃】コジ
  ①[詩経(小雅、蓼莪)
  「父無ければ何をか怙(たの)まん、母無ければ何をか恃(たの)まん」]
   たのみにすること。
  ②[蘇轍、兄軾の下獄せし為に上る書]父と母。両親。
     ―広辞苑第六版より


なんかこういう由来の故事成語?みたいなのがすきです。
「怙」も「恃」も父母の意味を本来持たない(と思う)ですが、
こういう父と母を想起させる文が有名なおかげでその意味を持つようになったみたいな。
他にどんなのがあるかって言われたら思い出せないですがね。



  【昏鐘鳴】こじみ
  夕方の鐘を鳴らすこと。また、その時分。いりあい。〈伊京集〉
     ―広辞苑第六版より


これは音読みなのか……?とにかく読めない。
「こ」は分かるとして、「じ」「み」が謎。
「しょう」「みょう」とも音があるのでまぁ分かるとするか…



  【邇言】ジゲン
  卑近で通俗な、わかりやすいことば。
     ―新漢語林より


今となっては「邇言」が邇言じゃないですね。自己矛盾。
「邇」は「近い」の意味です。漢検によく出てきます。
「遐」は「遠い」の意味なんですが、邇と遐どっちがどっちかよくわからなくなります。
っていう話を以前にもしたような。まあいいよね。




眠いのでさっさと寝よう!!!!!
明日は昼頃から用事があるし夜更かしもしてられません。
ここ最近、妙に更新する時間が遅くなりがちですね。
自分の首を絞めがちなので気をつけねば。おやすみなさい。