十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記177

どうも、十九です。
もうすっかり年末の雰囲気ですね。
こないだのクリスマスムードはどこへ行ったやら。
日本では年末にクリスマスと正月という2イベントが控えてますね。
売る側も買う側も色々と忙しくなります。大変だこと。
しかしクリスマスのあの歌だと、
"We wish you a Merry Christmas and a Happy New Year"
と歌ってますよね。クリスマスと新年は同じ括りのようです。
冷静に考えるとキリストの生誕を祝った後に、
寺で除夜の鐘を撞いて煩悩を取って神社で祈ったり運勢を占ったりして、
なかなかカオスな行事のまとまりになっている気がします。
日本が無宗教、あるいは様々な文化を取り込む文化であるとしてもすごい。
でもクリスマスにキリストの生誕を祝う日本人って少ないのでは。
……ってクリスマス近辺でも書いたような。まあいいか。
神仏習合すごいですね。キリストも入ると神仏基習合でしょうか。
かういう私も除夜の鐘は毎年撞きに行っていまして、
その後もだいたい神社に詣でています。今年は大吉でした。
おみくじに書いてあることを意識したり、
熱心に参詣せよみたいなことが書いてあったのでたまにお祈りしに行きましたが、
見事に大吉だと胸を張って言えるような年となりました。
とても貴重な経験などを得まくりました。人生悪くないね。


そういえばブログの更新がもう60日くらい続こうとしています。すごくね。
この調子で続けていきたいところですが、年末年始を挟むと怪しいですね。
雑記くらいなら書けそうですが、劄記200回のアレをやりたいので、
できるだけ劄記をしておきたいんですよね。書き溜めておくかな……
とにかく今日は劄記をします。





  【野猪にして介するもの】ヤチョにしてカイするもの
  (「介」は鎧の意)イノシシに鎧を着せたようなもの。
  むこう見ずの人をあざけっていう。いのししむしゃ。
     ―広辞苑第六版より


なかなかいい蛮勇の喩えですね。けっこう好きです。
でもあざけって言うので蔑称のようですね。
あまり蛮勇の人を讃えて言うこともない気がするし別にいいか。
猪ってやはり向こう見ずの喩えに用いられますよね。
猪突猛進とか一般的によく使うし。
そんな感じの猪がちょっと知恵を利かせて鎧を装備した感じ。
それで強ければまぁいいっちゃいいんですが、
向こう見ずならばそんなに変わりはないよねって感じ。
うまい例文が思いつかないな。でも好きです。



  【痩す痩す】やす-やす
  (終止形を重ねて状態の継続を表す)
  ひどくやせながら。
     ―広辞苑第六版より


「やすやす」と言えば「易々」ですよね。
でもこれはどちらかというと容易ではなかった感じですね。
終止形を重ねると状態の継続を表すんですね。
でも「痩す」は下二段活用の動詞ですので、
現在の五段とか下一段活用でも適用されるか怪しいですね。
今だったら「休み休み」とか「重ね重ね」とか連用形で言いますよね。
……と思ったけど「怖ず怖ず」「恐る恐る」「代わる代わる」とかありました。
普通に一般的な語彙にもあるじゃないか。五段活用もあるし。
探せばもっとありそうですね。こういう発見が面白い。
「痩す痩す」に関してですが、私は割と使うことになりそうな気がします。
作業も大詰めになる頃、大体私は時間的な余裕がないことが多いので、
食事が疎かになってしまうんですよね。
元から痩せ型というか痩せやすい?太りにくい?タイプらしくて、
食が細くなると頰がこけるのが割と分かりやすいらしいんですよね。
この間まで作業に追われていたのですが、
鏡を見たら光の角度によっては頰に影が落ちていました。あ、痩せてるなって……
来年は今以上にちゃんと栄養とか取って運動するようにしたいです。



  【棭】ねむのき
  一:⦅名⦆❶樹木名。《不詳》
  日本語用法:ねむのきマメ科の落葉高木。ネム。ネブ。合歓木。
     ―漢辞海第三版より


私、ネムノキ(の花)がけっこう好きです。実物は見たことないけど。
Twitter でたまに「眠すぎて合歓木ねむのきになる」というギャグを言うのですが、
そういやネムノキがどんなもんか知らんなと思ってググったところ、
花火と彼岸花を足して2で割ってもうちょい何かを足したみたいな、
なんかめっちゃキレイな花を咲かせるじゃありませんか。素敵。
さっき調べたところ、夜になると葉が閉じるので「ねむのき」と言うらしいです。
マジで眠るのか。就眠運動というそうです。木偏に夜なのも納得ですね。
それで漢名の「合歓木」ですが、「合歓」は文字通り歓楽を共にすること、
あるいは夫婦が同衾することを意味するそうです。素敵。
それで中国では合歓木は夫婦円満の象徴とされるようですよ。花言葉は「歓喜」。
桃のように甘い香りがするとか。もう素敵さの塊かよ。ますます好きになりました。
「合歓の花」は夏の季語のようです。私は夏生まれなのでなんかいいですね。
あれでも季語って旧暦でしたっけ…………まあいいか!
調べると開花は6~7月だとか。あ、私は8月生まれだ…………まあいいか!
Wikipedia によれば異称は「馬纓花」「絨花樹」「合昏」「夜合」「鳥絨」などだそう。
多いな。読みもよく分からんし。全部「ねむのき」と当てられるのは確かでしょう。
ということでネムノキについてでした。なんか熱くなってました。



  【楊朱泣岐】ヨウシュキになく
   楊朱岐に泣く
  分かれ道は、初めは小さな差にすぎないが、
  進むにつれて行き先が大きく違ってしまう。
  分かれ道に立った楊朱が、人はみな同じように生まれても、
  悪人と善人に大きく変化してしまうことを思って、
  悲しみ嘆いたことから。〈淮・説林〉
     ―漢辞海第三版より


楊朱がどんな思想家なのかはよく分からなかったのですが、
人間の欲望を肯定し、自己満足が自然に従うものであるとしたそうです。
Wikipediaからコピペしました。快楽主義に近い発想のようです。
それはともかく、なかなかこの言葉には私も感じるところがあります。
人生において、ほんの少しの歩み方の差が将来を大きく分けるんですよね。
私もそういうようなことをつくづく実感してきています。
最近これで悩んでるけどそういえば昔からこういう傾向があったなぁ、
みたいなやつです。生まれつき、元からの性格というのも勿論のこと、
ちょっとした経験によってその性格・性質が確乎たるものになっていくんですよね。
生まれた過程だとか生まれ持った身体であるとか、
そういう天性の、どうにも変えがたいものに因むならそれは本当に苦しいでしょう。
私も発達障害だと一応診断されています。これもまぁ天性の質ですね。
これが悪いものだとか病気だとか障害だとかは私は感じていません。
最初は感じていたかな。なんでこんな厄介なものを持っちゃったんだろうなぁと。
でもまぁ色々あってこういう性格・性質なんだなぁ、
じゃあそれに向き合って楽に生きていけるようにしよ~~~~
みたいな感じになっています。私の場合は悪いことばっかりじゃないしね。
よりよく生きるのって難しいですね。時を経るごとに生々しく実感します。
数日後、数ヶ月語、数年後の私って一体どうなってるんでしょうか。
考え始めるとなんだか漠然として些細な不安や恐怖が生まれてきますが、
ひとまず今それを考えてもしょうがないので今をよりよく生きます。





なんか今日の記事はよくわからない語りが多くなりましたね。
そういう気分なんでしょうか。ちょっと感傷的なのは否めません。
特に人間の深い情緒であるとか、衣食住にまつわるリアルな生活感とか、
金銭をどうやって得るか、どう使われるかとか、
そういうものを色々感じたのです。生きることについてちょっと考えてます。
重ねますが、よりよく生きる難しさを実感しています。大変だね。
でもまぁ考えなしになんとなくハッピーになるより私はこっちの方がいいです。
何故かはうまく言えないんですが、この方が私の性に合っています。
あとたぶん今日は気圧も低いのでさっさと休んだ方がいいですね。
そういうことなので今日はこれまで。また次回。