十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記137

どうも、十九です。
今週は3連休でした。私はそうでした。
そうでなかった方は本当にお疲れ様です。
働いている方もそうでない方も、
少ない休みの中で頑張る方であるとか、
普通は休む人が多い日に動く人であるとか、
そういった方に敬意を表したいです。
本当にお疲れ様です。ゆっくり休んでいただきたい。
それはそうと。それはそうと…?
私はこの3連休でやることをガッと進めたかったんですよね。
ガッとまではいかなくてもそれなりには。
そう思ってたんですが、土日は友人と一日中遊んでました。
まぁその辺は十分に自制ができたと思いますが、
誘惑というかとびっきり楽しいことにはまだ負けますね。
それで今日の月曜日にたくさん動こう!と思いましたが、
案の定そんなに動けませんでした。というかほぼ全然。
気づいたらこの時間です。23時半です。
あれれ、おかしいな。そろそろ懲りようと思ってたのに。
というか毎週懲りてるのにぜーんぜん改善できない。
まぁ少しずつ直せばいいと思ってはいるのですが、
それでも多少は気に病んだりする部分もありますよ。
もっと楽に人生を生きられるようになりたいもんです。
まぁここでくだくだと書き連ねても人生は改善しないので、
さっさと劄記していきます。




  【囊橐】ノウタク
  袋。旅人の荷物袋。また、財布。
     ―新漢語林より


なんか複雑そうな字ですね。囊橐です。
1文字目はとも書きます。真ん中あたりがやや違う。
氷のうとか花粉のうのノウです。袋という意味の字ですね。
2つめの見たことない変な字も袋の意味です。
どっちも袋ですね。熟語の説明も第一声が「袋。」ですし。
それはそうと、旅人の荷物袋ってのもなんかいいですね。
本当は「囊装ノウソウ」というのを紹介しようとしました。
意味の一つに「旅支度。また、荷造り。」というのがあります。
旅支度、荷造り、なんか始まりって感じでワクワクしますね。
でも囊橐の方が字面すごそうだし似た字が並んでるし、
こっちの方がいっかな!という風に思って紹介してみました。
旅人の荷物袋ってのもまた素敵ですよね。
なんか漫画によくあるああいうやつでしょうかね。
棒の先端に袋をくくりつけてそれを肩にかけるやつ。
ああ、冒険の始まりって感じですね。なんかいい。



  【納納】ノウノウ
  ①物を大きく包み入れるさま。
  ②うるおい湿るさま。
     ―新漢語林より


①がなんかいい感じですね。あまり見ない。
物を大きく包み入れる。普通なら物の収納とかに言うんでしょうが、
いわゆる包容力みたいな人間性にも使えそうです。
人の心を深く大きく包み込んで温めるような人間。
そういう意味で納納とした人になりたいもんですね。
でものうのうと人生を送りたくはないですね。
あまりぼーっとしてられません。もっと動かなきゃ。動きたい。



  【囊中之錐】ノウチュウのきり
  ふくろの中のきり。きりをふくろに入れても、
  すぐその先が突き出るように、すぐれた人は多くの人の中にまじっても、
  すぐにその才能を現すたとえ。チョウの平原君の客、毛遂モウスイの故事。〔史記、平原君伝〕
     ―新漢語林より


また囊かよ。でもまぁ面白い意味の言葉だし。
ちなみに紹介はしてませんが、劄記15の文中に出てきてます。
鞭辟近裏の項目で言及してますね。ちょっと暗い文体ですね。
確かに才能であるとか能力であるとか、
そういうものは人と比べてこそその価値が測れますからね。
無闇に比べるのはよくないとは分かっていますが、
やはり他人との比較が重要なのも否定できません。
あと私は特にそうですが、人より優れていたい気持ちって、
誰しもどこかにはあると思うんですよね。きっと。臆測だけど。
だからやはり向上心というか嫉妬みたいなものとかあったり、
己の不遇や不運だとか能力不足を恨めしく思ったりもします。
最近はそういうのは減ってきたかな。いいことだ。
平穏な心だとか冷静な判断力はできれば常に保持していたいところ。
それも能力だとか成功を収める秘訣なんでしょう。



  【能否】ノウヒ
  できることとできないこと。能力のあるなし。
     ―広辞苑第六版より


能否。変換しても普通に出てきました。よく使うのかな。
可不可とか可否とか得手不得手とか、
なんかそういう「できるかできないか」みたいな言葉ありますよね。
「できるかできないか」「得意不得意」「やれることやれないこと」とか、
そう言えば確実に伝わりますがなんかまどろっこしいですよね。
得意不得意はまどろっこしいか分かりませんが個人的にまどろっこしいです。
それでその「やれることやれないこと」に当たるのが「能否」なんでしょうね。
可不可ともなんか似てますが、ちょっと違う気がします。
可不可は可能か不可能か、できるかできないかって感じがしますが、
能否は説明文通りできないこととできないことって感じでしょう。
つまり……何だ?同じ事を繰り返してる気がする。
可不可は可能であるかと不可能であるか、
能否は可能であることと不可能であること、って感じだと思います。
自分のできることとできないことを弁えて行動しろよという場合、
能否をちゃんと考えろよ、って感じになるかと。
ちょっとずつ違うニュアンスを個人的に使い分けるの好きです。



  【遁れ端】のがれ-は
  のがれるきっかけ。〈日葡辞書〉
     ―広辞苑第六版より


なんか面白いですね。のがれるきっかけ。
逃げ口上とか逃げる際の言い訳という言葉は知ってるんです。
遁辞トンジ」とか「のがことば」とか言います。字の通りですね。
一応説明を入れておくと、「遁」は水遁とかの通り「にげる」の意味です。
水遁の術は水に隠れてやりすごす術だし、
木遁も木とか自然に紛れてやりすごす術のことを指します。
NARUTOに出てくる何遁の術とかは逃げてないので個人的に違和感あります。
そういうことで遁れ端です。のがれるきっかけ。
この逃れるというのは本当に危険から逃れるのもそうだろうし、
遁辞みたく言い訳して逃げるためのきっかけでも使えそうですね。
端というのは発端とか釁端キンタンとか言うように、
理由とかきっかけみたいな意味を持ってますね。
遁れ端をうまく掴んで逃げる能力も時にはけっこう重要ですね。
めんどくさい諍いとかに巻き込まれないのは色んな意味合いで大事です。
でもできればそういうことにまず巻き込まれないだとか、
自分が悪いことした際にはちゃんと非を認められるようになりたいですね。




前回と前々回に続き、今回も紹介数が少ない五十音シリーズですね。
の、意外と探すとあるもんですね。ぬよりはマシ。
でも漢語で探すと大体「ノウ~」になりますね。
言語によって出現しやすい音ってどういう風に決まるんでしょうね。
日本語っていうか和語だとラ行が少ないけど存在はしたり。
漢語もやたら少ないけど存在はする音とかありますよね。
ヒュウビュウミャク、あとなんだろ。ぱっと思いつくのはこれくらい。
それはそうとこんな感じであと9回くらい続けていきましょ。
今日はもう夜遅いです。さっさと寝たい。
でもやることやらなきゃ。あああああ。
そういうことなのでまた次回。