十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記15

どうも、十九です。
今日は友人と映画『がっこうぐらし!』を観てきました。
以前、ジョジョの実写映画を観に行って苦笑いしながら帰ったことがあるので、
今回もそんな感じかもな~と思いながら観に行きました。
ところがどっこい!思いの外良作でした!
むしろ原作のけっこう複雑なストーリーをよくぞここまで実写化したって感じです。
原作モノ特有の脚本改変はありましたが、ちゃんと原作の流れから外れすぎないものだし、
一本の映画として見ても自然にまとまったものだったと思います。
ネット上の感想を拾ってみると、ゾンビのゾンビ感が足りなかったりするらしいです。
身体の欠損がほぼないとか、血の量が足りないとからしい。
私はその辺は気にならないので平気でした。むしろありがたい。
それなりの炎上騒動はあったものの、結果いい作品だったので安心です。
知ってる人も知らない人もぜひ観てくださいね。
という感じで劄記に参ります。



  【鱣堂】センドウ
  講堂。教室。こうの鳥が三匹のうみへびをくわえて講堂に集まったという故事による。鱣序。
     ―新漢語林より


がっこうぐらし!を観たので学び特集にしようかな。
と思ったが「こうの鳥」という書き方が非常に気になる。
ふつう「こうのとり」か「鸛」だと思われる。
コウの鳥」が語源なのかな?まあいいや。
鱣堂に於て学びし日々、いい思い出も悪い思い出も沢山詰まっていて捨てがたいです。
あ、いまも学んでいますね。失念してました。これまた違う輝きに溢れています。たのしい。



  【焠掌】サイショウ
  刻苦勉励して学問すること。
  孔子の門人の有若が、勉強中、ねむけをさますために掌を焼いた故事。

  【懸頭刺股】トウをかけももさす
   頭を懸け股に刺す
  勉強中に眠気をさますため、頭を綱で梁につるした楚の孫敬と、
  錐を股にさした秦の蘇秦の故事。〔戦国策、秦〕


みんな眠気を覚ます方法がけっこう凄い。
私の高校の知人にも、喉奥に手を突っ込んで眠気をごまかすという人がいた。
わざわざその場で実践してくれたのでちょっと気分が悪かった。
私も寝る間や寸陰を惜しんで勉励したいところであるが、
十分な睡眠を取らないとパフォーマンスが落ちて二次災害を引き起こし、
勉強以前にまともに生活ができなくなると学んだので徹夜はしないと誓っています。
昨年は確か2,3日しか徹夜してないかな。普通か。普通なの?勉強は沢山したい。



  【学如不及】ガクはおよばざるがごとくす
   学は及ばざるが如くす
  学問をするには、にげる者をいくら追っても追いつけない時のように、
  少しも休まず続けるべきである。〔論語、泰伯〕
     ―新漢語林より


あるものについて学ぶ度にこういう感覚になる。
とてもじゃないが追いつけないという人を追って学び、
いざその人に追いついたと思ったらその人はもう更に先に進んでいる。
アキレスと亀ってこういう話でしたっけ。永遠に追い抜かせない(実際は違うが)。
好きなこと、興味があることについてならそうやって向上心が湧くのですが、
中学高校なんかの時は興味がない科目・分野に関しても、
そうやって休まず努力させ続けられたのが本当に負担でした。
いまはほぼ本当に好きなことだけを学べばいいのでとても気が楽です。



  【勿謂今日不学有来日】いうなかれ コンニチまなばずともライニチありと
   謂う勿れ 今日学ばずとも来日有りと
  今日勉強しなくとも明日があるなどとは言ってはならない。〔南宋朱熹、勧学文〕
     ―新漢語林より


「いつやるか?今でしょ!」「明日やろうは馬鹿野郎」ってやつでしょうか。
明日だって今日だって、何があるか分かりませんしね。
がっこうぐらし!を観ると、こういった平穏な日々を過ごすのも感慨深いものとなります。
そういう意味でもあるだろうし、勉強しようと思った今勉強するべきという意味でもあるかも。
明日やればいいか、と思って明日の私に託してみたら、
明日の私は既にそれに対する興味や熱意を失っていたということがしばしばあります。
やりたいこと、迷うことがあればできるだけ即刻やろう。



  【鞭辟近裏】ベンペキキンリ
  ①むちでうながしはげます。鞭辟は、むちで前方の人を追い払って道を開くこと。
   近裏は、背面に迫ること。
  ②転じて、努力勉励して深奥に迫ること。
   また、文章のきびしいものを評していう。
     ―新漢語林より


学を及ばざるが如くしてかつ鞭辟近裏していきたい。
自分はこんな所で止まるタマじゃない、もっと優れているはずだ!
と思い込むことによって生きてきた節がある人間なので(前にもこの話したっけ)、
その辺の凡人はズバズバ抜いていく感じで才能を磨いていきたいもんです。
嚢中の錐でありたいですが、今のところそういった機会は見当たりません。
自分で作っていくか、そもそも自分に露見するほどの才能がないのか。
後者ではないと願って生きていきたいです。



  【人生識字憂患始】ジンセイジをしるはユウカンのはじめ
   人生字を識るは憂患の始め
  人は学問をすることによって苦労を知る。文字を学び学問をすれば、
  物事の道理が分かって、かえって苦労が多くなるから、無学の方がよい。
  〔北宋、蘇軾、石蒼舒墨堂詩〕
     ―新漢語林より


この言葉、とても好きです。無学の方がいいとは思いませんが。
というかむしろこれは苦労を経験してでも学ぶべきということを言っている気がする。
原典をちゃんと調べてないので多分デタラメ言ってますが。
山が高くなれば必ず谷も深くなるもんです。
より深い幸せや知識を求めるとそれ相応の憂患は付いてくるものなのです。
それを厭って浅はかな幸せを求め続けるのは私の性には合いませんので。
人生字を識るは憂患の始め、と思いつつより深い学を求めます。
より深い苦労や悲しみを求めるマゾヒストになりたい。




がっこうぐらし!を観たということで「学」特集でした。
学ぶことは本当に楽しいです。どんなに苦労してでも。
知れば知るほど知らない世界が開けていき、とても心地がよいのです。
確かに無学の方が気が楽そうでよろしいですが、
学を知った今となるとそうは思いませんし、もう戻れません。
もっともっと、様々なことを学んで吸収したい。
学問はやめられませんね。みなさん、もっと苦労をしましょう。
もちろんただ苦労をすればよいという訳でもありませんが。
まぁこのブログを好んで見ている方ならば言うまでもないと思いたいです。
長くなりました。今日はこの辺で、また次回!