十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記78

どうも、十九です。
久しぶりの劄記です。ようやく落ち着いてきた。
でもやっぱり更新するのは遅めの時間。しかたがないね。
体調とかやることとかを良い感じに管理しないとですね。
あ、なんか書こうと思ったけどなんか思いつかないから劄記しよう。



  【流麦】むぎをながす
  後漢の高鳳(コウホウ)が読書にふけっていて、
  庭にほしていた麦が豪雨でながされるのを知らないでいた故事。
  〔後漢書、高鳳伝〕
     ―新漢語林より


何かに夢中になって大事なことに気づかない、割とありますよね。
最近なんかはお風呂のタイマーを止め忘れてお湯を溢れさせたりとかしました。
あとは単純に時計を見忘れてかなりの時間が経過していたとか……
夢中になるくらい集中できるのはある意味で長所ですが、
こういうデメリットがつきものですね。



  【悲喜交至】ヒキこもごもいたる
  悲しみと喜びとが同時にやってくる。悲しくもあり喜ばしくもある。
     ―新漢語林より


交(交)で「こもごも」と読みます。交互にとか入れ替わりの意味です。
悲しいけど喜ばしいとき、思ったよりある気がする。
そういう時にはこれを使いましょう。なんか格好がつきます。
あとは頑張れと言いたいけど頑張るなとも言いたいこともあるな。
そういう言葉ないかな。ないな、多分。



  【続貂】ゾクチョウ
  [晋書(趙王倫伝)「貂足らざれば、狗尾続く」]
   (貂(てん)の尾で作った冠の装飾が足りず、狗(いぬ)の尾を足す、という意)
  ①劣者が優者に続くこと。
  ②他人の残した業をうけつぐことの謙譲語。
     ―広辞苑第六版より


なんか割とこれも使えそうな気がしますね。
私は作曲をしたりしてますが、創作はやはり先人の模倣から始まるものです。
偉大なる先人の作品に続くのはもう常に続貂の気持ちであります。
でもその模倣の中からいずれオリジナリティであるとか、
先人とはまた別の価値が出てくるものなんですよね、創作って。
だからまぁ偉大なる先人に敬意を払うことを忘れないでいたいですね。




  【無心所着】ムシンショジャク
  和歌で、1句ごとに別々のことを言い、
  全体として意味をなさないもの。わけのわからない歌。
     ―広辞苑第六版より


作曲においても言えそうだ。
思いつきを寄せ集めたゆえに全体の統一性がなくなり、
ただアイデアを適当にぶちこんだだけのとりとめのない曲を作りがち。
そういった場合に比喩的に無心所着とか使うようにしてみようかな。
まぁ誰にも伝わらないでしょう。でも流行ってもいいんじゃないかな。




体調は普通なはずなのに言葉のチョイスとかコメントが妙になってしまった。
そういう日もあるもんだ。本当に自分の調子が知れる。
冒頭に書くことがなければ終わりにも書くことがない。
ないというのは語弊だな。うまく思いつかない?そんな感じ。
話せるには話せるけれど、何をどう話すか思いつかない。まとまらない。
最近はなんか睡眠の調子が妙だからな。今日こそは早く寝るか。
8時間睡眠、できるならけっこういいです。あと寝る前に電子機器の画面を見ない。
このごろ急に暑くて寝づらいですからね。その辺とか風邪にも注意しましょう。
なんやかんや後書きは書けた。なぜだ。とりあえずまた次回。