十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記16

どうも、十九です。
先日の不調をまだ引きずっており、またずっとうだうだしてました。
でも頑張って13時くらいに着替えて外出してきました。えらい。
もう一晩くらい寝れば治るでしょう、多分。
こういう自分の力だけではどうしようもない不調の対策をしたいですね。
まだなんか気分が優れないですが、昨日よりマシなので劄記します。



  【把飯叫饑】ハンをとりてキをさけぶ
   飯を把りて饑を叫ぶ
  飯を持っていながら、ひもじさをうったえる。
  言うことと行うこととが矛盾していることのたとえ。臨河叫渇かわにのぞんでカツをさけぶ
  〔通俗編、飲食〕
     ―新漢語林より


私だ。それなりに恵まれた環境に居ながらも饑えを叫んでいる。
いや、少し違うか。私の場合望む飯と違うか量が少ないかで叫んでいるように思われる。
誰もが簡単に叶えられるが私だけが苦しんでいるという望みでもないし、贅沢だ。
食物はあろうが、求める味が違うのだろう。私は味を求めているのか。
好い喩えが見つからないし、何を言っているかもわからないぞ。やめよう。



  【擻】ソウ
  ❶こんろの灰を払い捨てる。
  ❷抖擻(トソウ)は、心をふるい起こす。
     ―新漢語林より


抖擻。いつだって抖擻しないとろくすっぽ行動できない。
私は馬力はそれなりにあるが燃費がものすごく悪い車みたいなものだ。
おまけに興味があることに対してでないとエンジンがかかるのにも時間が要る。
あれもしなければならない、これもしなければならない、
そんな状態になればもう当分は動けない。心が動かなくなる。
仕方がない自分の性質だとも思うが、直すべき重大な欠損でもあるとも思う。
そうは思っても、気が向かないので抖擻しないと直せないものである。


追記:広辞苑に見られる「抖擻」は仏教用語で、
「衣食住に対する貪欲をはらいのける修行」などの意とされる。



  【緘愁】カンシュウ
  心にひめているうれいや悲しみ。
     ―新漢語林より


読んで字の如く、って感じだ。
緘愁を分かってくれとは言わないが、ただ可愛そうだと言って憐れんでほしい。
私がこういう風に悩んでいる、苦しんでると言っても、
だいたい「そんなことないよ」みたいなことしか言われない。
そんなことあるから悩んで苦しんでいるのだ。
ただそれを認めて憐れむだけでいい。何故そうしてくれないのだ。
わざわざ気にかけてくれた人にそんなことを言うのも申し訳ないので、
こうやって胸臆をばらまくか、愁いを心に緘するしかないのである。



  【紫瘢】シハン
  傷が癒えて、なお紫色の痕跡をとどめるもの。
     ―広辞苑第六版より


「瘢」が「きずあと」の意と訓を持つらしい。
形式上は癒えたが、実質癒えていない傷の喩えに使えそうだ。
紫瘢が私にも沢山ありそうだが、幸いにも忘れっぽいのでいろいろ忘れてしまう。
悪いことを忘れやすいのはいいが、良いことも忘れてしまうことがある。
そんなに都合のいい頭でもないらしい。困った困った。



  【ビュリダンの驢馬】ビュリダンのロバ
  左右等距離に同じ量の干し草を置かれたロバは、
  左右に同じ強さの欲求が働くためどちらにも動けず飢えてしまう、というたとえ。
     ―広辞苑第六版より


初登場のカタカナ。
あれもしなきゃこれもしなきゃ、あれもしたいこれもしたい。
欲求の板挟みになって、かといって各々を中途半端にこなせるほど器用でもない。
中途半端にこなすくらいならいっそ何もしない方がマシだと思うので手が出せない。
何度そんな最悪の状況に見舞われたことか。いい加減懲りたいのに。
これだから饑えを満たせる訳がないのに。こんな間抜けを見かねる聖人なんかもそういない。
そういないと思うけれど、存在はするし、実際に巡り会ったことはある。
その聖人を探しに行くか、饑えながら待つか。私はどうするのだろう。




見ての通り、調子は最悪です。
是非どうか生温かい目で見守ってやってください。
今日はこの辺で、また次回。