十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記3

Buonasera. 十九です。

第二外国語でイタリア語を囓ってます。

初級クラスで伊語作文をやらない授業(!)なのでまだ全然ですが。

伊語はほぼ綴り通りに発音すればいいのでそこはとても楽です。

名詞とかの性別やら動詞の活用やらがいっぱいなのは慣れが必要ですが。

伊語たのしいですね。劄記劄記。

 

 

  【慈愛】うつくしみ

   うつくしむこと。いつくしみ。

     ―広辞苑第六版より

 

慈愛って感じだ。熟字訓感が素晴らしい。

「愛しむ」「慈しむ」と書いて「うつくしむ」と読み、

慈愛を垂れる意があるとのこと。いつくしむとだいたい一緒だね。

慈愛を湛えた人間になりたいものです。

 

 

  【讜議】トウギ

   正しい議論。正論。讜論。

     ―広辞苑第六版より

 

正論よりつよそう(小並感)。

 

 

  【春嬉】シュンキ

   ①春の気分になってうかれ遊ぶこと。

   ②年少のとき、陽気にうかれあそぶこと。

     ―新漢語林より

 

もっと春嬉しておきたかったです。なんで男子校に入学したんだろ。

遊ぶにしても一人で遊ぶことが多いです。

本当は大人数でワイワイやるのが好きなんですが、引っ込み思案なのです。

でも年中春嬉(①)してるようなお花畑さんみたいにはなりたくないものです。

 

 

  【樸学】ボクガク

   ①地味な学問。名誉や利益などを目的としない学問。

   ②当面の実用にならない学問。

   ③漢学をいう。

     ―新漢語林より

 

たびたびTwitterとかで弾圧されがちなやつ。

教養って樸学の集積なのではないだろうか。

即座に当用できるような知識ではなく、こういった「いつか使える」みたいな、

いつ使えるかも分からない知識の集積のこと。

或いは、そういった知識の集積同士を結びつけ、物事を推量する能力。

無駄に見える、もしくは無駄なものこそ案外重要だったりする。

そうすると無駄ってなんだろう。わからない。

それこそ樸学のような、当面は用いえない物のことだろうか。

とりあえずこういう使い道の微妙な言葉が大好きだ。

 

 

  【斯道】シドウ

   ①仁義の道義。聖人の道。人の人たる道。

   ②(芸術・学問などの)この分野・方面。このみち。「―の権威」

     ―広辞苑第六版より

 

①も②も使えそう。「この道のプロ」より「斯道の権威」の方がつよい。

人としてあるべき道を「この道」と言うのも面白いところ。

斯道、踏み外してないだろうか。

おおよそ斯道を歩いているが、脇道によく逸れる。

ところで「この道」といえば山田耕筰だろう。いい歌なので是非聴いて。

 

 

今日はこのくらいにしておく。

使えるか使えないか微妙な言葉が最も好きなのだが、

今回はそこそこ使えそうな言葉が多めになった。まあそれもいい。