十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記70

どうも、十九です。
実はこの記事、日付が変わる前に立てるだけ立てて中身書いてませんでした。
今日は帰りが遅かったので仕方がないですね。こんなこともある。
そんなことなのでさっくり劄記しておわりです。
あと遂に劄記も70回目ですね。もうそんなに続いたんだ。
おめでたいおめでたい。よく継続するな。三日坊主じゃなくてよかった。



そんな訳で今回は三日坊主特集です。
そんなんで特集組めるのかって?見てれば分かります。



  【隠公左伝】インコウサデン
   (「隠公」は春秋時代の魯の国王。「左伝」は「春秋左氏伝」。
  春秋左氏伝を読もうとして、最初の隠公の条だけで止めてしまうことから)
  学問が努力不足のために長続きしないこと。須磨源氏。


  【雍也論語】ヨウヤロンゴ
   (「論語」全20編のうち第6の「雍也」までで、やめてしまうことから)
  勉強や読書が長続きしないことのたとえ。「三月庭訓(ていきん)」「須磨源氏」の類。


  【桐壺源氏】きりつぼゲンジ
  源氏物語を読み始めたが冒頭の「桐壺」でやめてしまうように、
  あきやすくて読書や勉強が長続きしないこと。


  【須磨源氏】スマゲンジ
  (源氏物語を読み始めて、全54巻中第12の「須磨」の巻あたりでやめてしまうことから)
  勉強や読書が長続きしないことのたとえ。「三月庭訓(ていきん)」「雍也(ようや)論語」の類。


  【三月庭訓】サンガツテイキン
  (12ヵ月分ある庭訓往来を手本として手習いする者が、3月のあたりでやめてしまうことから)
  学習にあきやすいこと。「隠公左伝」「須磨源氏」などと同じ意。
     

  ―広辞苑第六版より


私が見つけた分だとこれだけありました。いっぱいあるね。
これらの言葉がいつからあるのかは知りませんが、たぶん昔からそういう人はいたんですね。
これだけあったら気になることがないでしょうかね。
そう、それぞれの言葉がどれくらい書に手を出せているかですね。
全何巻中のどこまででやめた、なんて記述があればそりゃ気になりますよ。
ちなみに上のやつは成立時期が古い順に並んでます。たぶん。
では長続きしてない順に並べてみましょう。


【桐壺源氏】『源氏物語』54巻中最初の巻で止める:約1.8%
【隠公左伝】『春秋左氏伝』30巻中最初の条で止める:約3.3%
【須磨源氏】『源氏物語』54巻中12巻の『須磨』あたりで止める:約22%
【三月庭訓】『庭訓往来』12ヶ月分中3ヶ月分あたりで止める:約25%
【雍也論語】『論語』20編中6編の『雍也』までで止める:約30%


けっこう差がありましたね。意外。
もちろんそれぞれの文量だとかその巻のどこで止めたかにもよると思うので、
あくまでも大まかな割合です。細かいことは気にしすぎるな。
数字だけで見たら須磨源氏の12/54とかけっこう読んでる気がしますけどね。
あれってどんくらい長いんでしょうか。でもけっこう長いぞきっと。


この割合の差を覚えていれば、どれくらい手を出してやめたかの区別ができますね。
よく、ときどき、たまに、まれに、とかの使い分けみたいに。
本当に冒頭だけかじった場合には雍也論語より桐壺源氏が、
それなりにかじったけど飽きた場合には桐壺源氏より雍也論語の方が適切でしょうね。
たぶん使っても伝わらないだろうけど、説明すればすんなり理解できる言葉でしょう。
面白そうなので使って流行らせてください。流行れ。
そんな感じで今回はこれまで。また次回。