十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記186

どうも、十九です。
今日から学校が再開しました。早いな。
昨晩はなぜか妙に寝付きが悪かったので若干心配でしたが、
8時半くらいに目覚めて事なきを得ました。
そしてこれは個人的な進歩なのですが、
初めて自分でワックスをつけて外に出ました。
半年くらい前からワックスを購入して試用していたのですが、
外出しない日や帰宅後に試していたんですね。
そろそろ様になってきたんじゃないかと思ったのです。
もう一つささやかな理由があって、
今週と来週くらいで学校が終わって春休みに入るのです。
つまり友人にまた会うのは数ヶ月後になるのです。
「春休みが終わったらアイツがワックスをつけるようになっていた」
みたいなそういう感じがなんか嫌だったので、
冬休みが終わったこのタイミングでつけ始めることにしました。
いやぁ、ワックスいいですね。前髪をガッと上げてます。
これで私もイケメンに近づきましたね。やったぜ。
そういう感じで劄記していきます。





  【Bazillus(ドイツ)】バチルス
  ①桿菌カンキン
  ②ある物事につきまとって、その利を奪い、または害するもの。
     ―広辞苑第六版より


久しぶりに横文字が出てきました。いつ以来だよ。
バチルスってなんかポケモンっぽい響きしてますね。絶対でんきタイプ
そんでもって桿菌って何者なんでしょうか。初めて聞きました。
ひとまず広辞苑から引用しましょう。


  【桿菌】カンキン
  棒状または円筒形の細菌の総称。短桿菌・長桿菌などがある。
  大腸菌コレラ菌サルモネラ結核菌の類。バチルス。
     ―広辞苑第六版より


アレですね。円柱からちょっと毛が生えてるみたいなああいうやつ。
桿はアレですね。操縦桿の桿。棒とか竿とかそんな意味があるようです。
桿菌に限らず菌類がだいたい②みたいな性質を持っている印象ですが、
まぁなんかうまいこと使えそうな言葉ですね。



  【土仏の水遊び】つちぼとけのみずあそび
  無知で、危険が身に迫っているのを知らないこと、
  また、自分で災いを招いて自滅することのたとえ。
  「土仏の水なぶり」「雪仏の水遊び」とも。
     ―広辞苑第六版より


なんか前もこういう感じの言葉を紹介したような。
忘れてしまった。ある言葉を紹介したかどうかは割と覚えていても、
その言葉自体は覚えていないなんてことはけっこうあります。
それはそうと面白い喩えですね。使い勝手もまあまあよさそう。
しかし、一応でも仏様だけれども無知の喩えに使われるなんて……
そういうことを判断したりするだけの知識や知性って大事ですね。
でもそういう要素を持ち合わせても自滅したりする場合だってあります。
いざピンチになったり、あるいはピンチの前兆に出くわしても、
案外気づけなかったりすることもありますよね。
練習とかしようにもなかなか難しいところ。経験か…?
ひとまず私は防水加工した土仏になります。



  【屐歯之折】ゲキシのセツ 
 =【不屐歯之折】ゲキシのセツをおぼえず
   屐歯の折を覚えず
  喜びのはなはだしいさま。〈晋・謝安伝〉
   注:晋の謝安は囲碁の最中に戦勝の報を受けたがそのまま平静に碁をつづけ、
     碁が終わってから、下駄の歯が折れたのも気づかないほど、こおどりして喜んだ。
     ―漢辞海第三版より


なかなか面白い成語ですね。かなり喜んでるじゃん。
これはまぁ気にしなくていい所だと思うのですが、
元になった話に沿うと、単純に喜んだという場面には使えなさそうですね。
何かの最中に嬉しいことが起きて、
それが終わったあとにとっても喜んだ場合が厳密には適切そう。
いや流石にそれは気にしすぎだろ。そこまでじゃなくていいでしょう。
似たような話かは分かりませんが、私は「だが断る」を使うのに抵抗があります。
元ネタを知らなくても、「だが断る」というセリフや定型句はご存じかと思います。
主にインターネットだと、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』において、
第4部のキャラクター、岸部露伴が発したセリフとして有名です。
この露伴が敵に追い込まれてピンチになるのですが、
そこで敵から露伴に利となる提案が持ちかけられるのです。
「本当に助けてくれるのか……?」『もちろんだ』
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というような流れで出てくる、非常に印象的なセリフです。
なので、単純に断る場合には「だが断る」は本当は不適切とされます。
だからといって「その使い方は違います!!!」みたいに食いつくと怪訝な顔をされますが。
言葉の使い方も一様ではないし、押しつけや思い込みもよくないことでしょう。



  【曽参殺人】ソウシンサツジン|ソウシンひとをころす
  間違ったことも多くの人が言うと、
  ついには真実となるたとえ。投杼トウチョ。〈国策・秦二〉
   注:曽参と同名の者が人殺しをした。
     知らせを聞いた母は信じなかったが、三人めの人の知らせに、
     とうとう(=機織りの道具)を投げ捨て、様子を見に行ったという故事から。
     ―漢辞海第三版より


これまた面白い。これはもう現代の情報社会においてかなり使いどころがあります。
「曽参殺人」の字面もなんかすごいし、「投杼」とスッキリ言えるのも好感。
情報の送受信においてかなりアンテナを張る必要があります。
迂闊に情報を信じすぎないための警戒心だとか情報網だとか、
あとは本当にそれを判別するための知識などが問われます。
私も気になった情報をリツイートしたりするのですが、
後でリプライを見返してみるとけっこう非難されていて、
根拠や記述などの不確かさが指摘されていた、なんてことがたまにあります。
そういうことも考えるとあまり気軽にリツイートもできません。
得られるものが増えた分、こういった不便さまで発生してしまうんですね。
いやぁ生きるのが難しい世の中だ。これからどうなるやら。
ひとまず私はさまざまな視点を身につけたいですね。






最後のやつとかかなりいい言葉だったのですが、
なんかあまり語る内容が思いつきませんでした。残念。
でも比較的それなりに中身のある記事になったんじゃないでしょうか。
これだから辞書を読むのは楽しいのです。戒めが得られる。
なんだか頭が回らない気がする。久しぶりに頭を使ったからかな。
そういうことにしておこう。今日はもう休もうか。
それではまた次回。みなさまもいろいろ気をつけて。