十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記146

どうも、十九です。
今日の昼頃にやるべきことの一つが終わりました。
まだあります。第二波。これが来月の頭まで。
日曜の朝から休憩も挟みつつ夜の3時半くらいまで、
気づいたら寝落ちして日曜朝8時から昼まで、
ずーーーーーっとパソコンに張り付いてました。
おかげで体のそこかしこがじんわり痛いです。
肩周辺はもちろん、手首や背中、腰とかも痛いです。
明日マッサージの予約したので多少よくなるといいな。
私は徹夜にめっぽう弱いので徹夜はしたくないです。
来月頭まで、再びこういうことがないよう頑張りたいです。
もうめっちゃくちゃ疲れて本当はけっこう大変なんですが、
なんか気分なので劄記でもしたいと思います。いきます。




目録を見直すと「む」が少なめだったので、
今回は「む」特集でいきたいと思います。



  【蠢く】むく-め・く
  《自四》
  むくむくと動く。うごめく。
     ―広辞苑第六版より


「うごめく」が一般的ですね。まずこちらでは読まれないでしょう。
しかし「うごめく」は「蠢蠢うごうご」という言葉もあるくらいですし。
なんかもぞもぞ動く感が音に出てる気がするんですよね。
それとは違ったもぞもぞ感を「むくめく」から感じます。
なんかむくむくしてる感じ。こっちの方がややソフトかな?
ニュアンスの違いを出したい時に使ってみましょう。



  【無始曠劫】ムシ-コウゴウ
  はじめを知ることができない無限に遠い過去。
  平家物語(10)「妻子といふものが―よりこの方生死に流転するきづななるが故に」
     ―広辞苑第六版より


なにこの中二臭い言葉。好きです。もっとちょうだい。
「輪廻転生」みたいな雰囲気を感じます。
なんか実際仏教由来っぽい雰囲気もありますよね。
折角かっこいいので例文も載せてみました。かっこいい。
それで調べるとやはり「無始」は仏教用語でした。
どこまでさかのぼっても、始めのないこと。だそうで。
無始が既にそういう意味を持っているようですね。
そこに、広いとか虚しいとかそういう意味の「曠」と、
これまた仏教で極めて長い時間を指す「劫」を合わせたんでしょうか。
「劫」という単位が、確か百年に一度天女が降りてきて、
山だか石だかをひと撫でしてそれがすり切れるまでの時間とかそんな感じ。
百年でもう既に莫大な時間を指している訳ですが、
そんなんが億回も重なればまさに億劫っていう訳です。
寿限無に出てくる「ごこうのすりきれ」も「五劫の擦り切れ(ず)」と書き、
五劫くらい経っても擦り切れない、長生き!みたいな意味らしいです。
そういう訳で中二仏教用語、無始曠劫。流行らせましょう。



  【無告】ム-コク
  [書経(大禹謨)]自分の苦しみを告げ訴えることができないこと。
  また、たよりとするところのないこと。また、その者。
     ―広辞苑第六版より


なんだかとても身に覚えがあります。これは辛い。
「無告の民」なんて言葉もあるようで、
そういった人民のことを指すようです。大変だ。
ということはこの「訴える」というのは法的なものかもしれません。
現在の法というより地頭とかなんか王みたいな人に、とかそういうやつ。
いずれにせよ苦しみを一人で背負い続けるのはどうしても辛いものです。
頼れる人がいない、あるいは頼っていい人が分からない。
更にあるいは人への頼り方がわからないし後ろめたいので自分で背負い込む。
なかなかに辛いものです。人は一人では生きていけないとは言いますが、
なぜ一人が辛いのかとは説明しがたいのが残念。そうでない人もいますがね。
自立とは依存先を増やすことだと言いますよね。これ前も言ったっけ。
なんだかとりとめがなくなってきたので次に行こう。



  【紫奪朱】むらさきシュをうばう
  間食の紫が正色の朱よりも人に喜ばれ用いられること。
  邪佞ジャネイ(よこしまで口さきのたくみ)の者が用いられて
  正しい者が遠ざけられることのたとえ。〔論語、陽貨〕
     ―新漢語林より


正色というのは、昔の中国でまじりけがなく正しいと定められた色で、
青・黄・赤・白・黒の5色を指すそうです。
で、それらの色を混ぜて作れる色を間色と言うそうな。
現代の美術でいう中間色とは別のものですね。
余談ですが中間色と補色(あるいは中性色)は間違えやすいので注意しましょう。
中間色は、純色(各色相で最も彩度の高い色)に灰色を加えたものを言い、
補色(中性色)は暖色とも寒色とも取れるような色、
すなわち緑と紫を指します。なんだかややこしいね。
閑話休題、この言葉はめっちゃ使いやすそうです。
憎まれっ子世に憚る、みたいな感じでしょうね。
俺はこんな頑張ってるのに不真面目で頑張ってないアイツの方が人生幸せそうじゃん、
とは違うけどなんかそういう雰囲気も感じますよね。
こればかりは多分世の中がそういう風にできているというか、
どうも改善とかはしようのない問題なんじゃないかと感じてます。
いろいろ強く生きていきましょう。



  【胸焼け・嘈囃】むねやけ
  食道内に灼熱感の起こること。胃内の酸の増加に伴う酸性のおくびに原因する。
  主として胃液分泌過多・胃潰瘍などに現れる。
  むなやけ。そうざつ。そうそう。
     ―広辞苑第六版より


嘈囃て。胸焼けってそんなゴツい字を当てられるのか。
最後の方にある「そうざつ」「そうそう」は「嘈囃」の音読みでしょう。
どうやら「囃」の音読みは「ソウ」であるらしいので、
恐らく本来の読みは「そうそう」で、「そうざつ」は慣用読みでかと。
にしてもなんでこんな字を当てるんでしょうか。
「嘈」は「嘈嘈」なんて言葉もあり、「騒がしい」ような意らしい。
「囃」に至っては国字だと思ってたんですが、そうでもないらしい?
本当にいわゆる「はやし」、歌とかの調子を取る声や鳴り物の意。
なんでそんなのが胸焼けになるんでしょうね。
なんか胸が騒がしいとかそういうやつでしょうか。胸騒ぎ?
ちなみに英語でも胸焼けは "heartburn" と言うそうです。
あと "heartburn(ing)" は不満や嫉妬も表すとか。それっぽいね。
心が燃えるような憎悪とか嫉妬を指す「心火」という言葉もあります。
なんか訳語っぽいのが連鎖して楽しいですね。閑話と本題おわり。





疲れてる割にまともな文が書けたのではないでしょうか。
でも長めでちょっと難しそうなことを話したいとき、
いろいろまとまらない文章になるのを自覚しました。
もうさっさとお風呂入って寝ます。お疲れさまです。
そういえば明日は即位の日ですね。めでたい。祝日です。
働かれる方であるとか、もうみなさん全員お疲れ様です。
毎日立派に生きていることに敬意を表します。
ほどほどに頑張りましょう。また次回。