十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記132

どうも、十九です。
なんということでしょう。2日連続で更新し忘れました。
前の記事にも書きましたが、このごろ睡眠の調子が悪いのです。
月曜の晩にやっと普通(?)に眠れて、火曜は普通に起きて、
なんだ一過性のものでよかったと思った矢先、
なんと火曜の晩も寝付きがメチャクチャ悪いときた。
寝付く時間が遅かったのもまぁ悪いですが、
最後に時計を見たときは4時くらいでしたね。
それでしばらくしたら寝てたので、
たぶん寝付いたのは4時半くらいじゃないでしょうか。
それで9時半に気づいたら起きました。クッッソ眠かった。
カップうどんを食べようと思ってお湯を沸かしたのですが、
違う作業を始めてしまい、11時くらいに家を出なければだったので、
結局朝ご飯(ブランチ?)を食べ忘れました。
寝ぼけてますね。だめだ。睡眠はマジで大事。
でも昔の私だったらこれで挫けてました。
家に籠って堕落しきっているところだったでしょう。
私にも私を支えてくれる人ができたりいろいろあったりして、
精神面もかなり成長したのです。えっへん。
そういうことなので頑張って学校に行ってきましたよ。
眠さに耐えつつ、意外と眠気も飛びつつ、頑張ってきましたよ。
いやぁ、えらいえらい。我ながらえらい。
更新が途絶えたのはかなり不服だけど、
まぁこんなこともあります。しょうがない。
またコツコツやってきましょう。劄記します。




  【流憩】リュウケイ
  あちらこちら歩きまわったり、
  立ちどまって休息したりすること。
     ―新漢語林より


あー、なんかいい感じの言葉ですね。
やや混んでるような場所でやるやつですね。
大型複合商業施設やら、テーマパークやら、
あるいは普通に街中を散歩するときだとか。
なんでだか分かりませんが、私は文化祭が真っ先に思いつきました。
あっちの教室こっちの教室で客引きをしていて、
なんか面白いんだかなんだか分からない、
微妙なクオリティの出し物を友達と大いに楽しんだり、
知り合いを見かけてなんだか嬉しい気持ちになったり、
どの教室行こうか、ちょっと休もうかってなったり。
なんだかそういうのを感じました。青春だね。
なかなか汎用性の高そうな言葉です。これは普通に使える。
どなたか使ってやってください。



  【困学】コンガク
  ①苦学すること。
  ②[論語(季子)「困(くる)しみて之を学ぶ」]
   行きづまってから学問すること。


①もまぁ使えますが、②も大いに気になりますね。
果たしてそれがいいことなのか悪いことなのか。
辞書によってなんかいろいろ書いてあるので、
ちょっと各々引用してみます。


  【困学】コンガク
  ①行きづまりこまってから、はじめて学ぶ。〔論語、季氏〕
  ②(心が鈍くて)苦しみながら学ぶ。
  ③(貧乏で)苦しみながら学ぶ。苦学。
     ―新漢語林より


  【困学】コンガク
  ①行きづまってから初めて学ぶ。〈論・季氏〉
  ②努力して学を求める。〈朱熹-氏・困学〉


あれ、これ季子なの?季氏なの?
ひとまずこの言葉が出てきた文脈を知りたい。
ちゃんとした文献を引っ張ってきたいとこですが、
ひとまずこのアメブロから引用します。

【漢文】
孔子曰、生而知之者、上也。
學而知之者、次也。
困而學之、又其次也。
困而不學、民斯爲下矣。


【書き下し】
孔子曰く、生まれながらにして之を知る者は、上なり。
学びて之を知る者は、次なり。
困しみて之を学ぶ者は、又其の次なり。
困しみて学ばざる、民斯れ下と為す。


【現代語訳】
孔先生の教え。生まれつき道徳(人の道)を理解している人間が、最高である。
学ぶことによって〔すぐに〕道徳を理解する者は、それに次ぐ。
〔すぐにではなくて〕努力して道徳を学ぶ者は、さらにそれに次ぐ。
努力はするものの〔結局〕道徳を学ぼうとしない。そういう人々、これは最低である。



論語』季氏篇講談社学術文庫加地伸行訳注384頁


私の環境だとまた余分な「より」が付いてますが気にしないことにします。
訳し方はなんかちょっとアレですが、
ひとまずどういった文脈なのかは分かりました。
たぶんあまりいい意味ではないんでしょうね、困学。
ちょっと遅いけどまぁやらないよりはマシだね、みたいな感じかと。
そう思うと急に困学が身近な言葉になってきました。
学ぼう学ぼうと思ってずっと先延ばしにすること、ありますよね。
学ぼう、というか調べようと思って調べないこととか。
それで本当にそれを必要としたいときに調査とかが不十分だったり…
できるだけ思い立ったらすぐ学べる人になりたいです。



  【抨撃】ホウゲキ
  言論で攻撃・批判する。〈輟耕録・二〉
     ―漢辞海第三版より


出典のところに、劄記32で紹介した「輟耕」が地味に出てきてる。
劄記いくつで書いたかまではさすがに覚えてませんが、
どの単語を紹介したかはけっこう覚えてるもんです。
こんど目録でも作ろうかな。すると随時更新になるのでめんどくさいけど。
抨撃。Twitterとか見てればそんなもんばっかですね。
「批判」はまぁいいニュアンスよくないニュアンスどっちもあるけど、
「攻撃」はもう完全にアレですね。よろしくないかと。
言論って勝敗を決めるものではないと思います。
どの意見がより適切かを煮詰めていくものだと思います。
どちらかが一方的に「正しさ」を押しつけ合うのは、
ナンセンスというかなんというか、何がしたいんでしょうね。
とか言いつつそれ紛いのことをやってそうで怖いです。
できるだけ各意見の長所短所を論じて、
それらを折衷し、ちょうどいい感じになる論をしたいですね。
ちなみに「抨」はいろいろ意味があるようです。
「弓を引く」「打撃を加える」「弓をはじいて弦音をひびかせる」
「罪をあばく」、あと使役の助動詞的な意味もあるようで。
……言論の意味はどっから来たんでしょうね。





久しぶりの劄記の割にはけっこう書きましたね。
半分は困学についてな気がしますが。
やっぱり辞書を眺めるのは楽しいものです。
カタログを見ている感じ。語彙のカタログ。
使う機会は少ないですが、それでいいのです。
そうして私の心と言葉がきっと豊かになっていると願って。
ついでにこれを読んでいる方々の見識も広がりますように。
そういうことで、またぼちぼちやってきます。また次回。