十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記58.5

どうも、十九です。
劄記する気分じゃないんですが、雑記が続きすぎるのも嫌なので、
ミニ劄記としてひとつ言葉を紹介することにしました。
たまにはこういうのもいいよね。今日のひとこと、みたいな。



  【一飲一啄】イチインイッタク
  [荘子(養生主)「沢雉は十歩にして一啄し、百歩にして一飲するも、
  樊中(はんちゅう)に畜(か)わるるを蘄(もと)めず」]
  (「啄」は、ついばむ意)多くを求めず、ありのままを受け入れて自由に生きる。
     ―広辞苑第六版より


劄記9で「人は自分の身分に応じた分で満足するべき」みたいな語を紹介しましたが、
それともなんかちょっと違う雰囲気を感じます。なんかちがう。
原文の訳をこちらのブログから引用させて頂きます。


沢べにすむ野生のきじは、十歩あゆんでやっとわずかのえさにありつき、
百歩あゆんでやっとわずかの水を飲むというありさまだが、
それでもかごのなかに飼われることは望まないだろう。
かごのなかでは、たらふく餌を貰って気力は充ち溢れても、
(山野を自由に遊び回る楽しみも味わえないから)いっこうに楽しくないからである。


野生の鳥からすると籠で暮らすのは自然じゃないですからね。
いくら満足なものごとが待っていようと、無理のある求め方はよくないってことですかね。
多くを求めず、ありのままを受け入れて自由に生きる。
といってもありのままと身勝手は意味が違いますからね。
どうしようもないことはどうしようもないと受け入れたり、
自分の大きくは変わらないであろう性質とどう自然に向き合うかということでしょう。
沢雉を見習いましょうかね。私はもっといい人間になります。段々と。
そんな感じでそれとなく前向きに生きたいです。また次回。