十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記9

どうも、十九です。

このごろ心情の起伏がいやに激しくて困ります。

でもおくすりの力には頼りすぎたくないものですね。

それはそうと今日も言葉の御稜威を浴びてきましょう。

 

  【燕石】エンセキ

  (燕山から出る石の意)玉に似て玉でない石。まがいもの。

  転じて、価値のない物を宝として誇ること。

  また、才のない者が慢心すること。

     ―広辞苑第六版より

 

「つばめいし」で変換しようとしたら「いし」が「縊死」になったのでびびった。

 縊死は最もみっともない自死だろうのでそれは避けたい。

それはそうと、あまりに自分のことを指している気がしてならない。

「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、

 又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、

 碌々として瓦に伍することも出来なかった。」というやつです。

山月記に共感するのは私だけではないだろうし、

私のように凡人にも賢人にも狂人にもなりきれずに爛れる人なんて腐るほどいる。

こうして今も燕石は自分の文才やら知見やらを賢しげに見せびらかすのだ。

己を愚人と認める素振りをすれば賢人らしく見える。これも愚人の所業だろう。

つまらない。

 

 

  【兎糸燕麦】トシエンバク

  ねなしかずらとからす麦。兎糸は糸の名があっても織ることができず、

  燕麦は麦の名があっても食べることができないことから、有名無実のたとえ。

  兎葵(トキ)(いえにれ)燕麦。〔資治通鑑、梁紀〕

     ―新漢語林より

 

風評被害というやつでは。とんだとばっちりである。

とはいえ、喩えとしては面白い。また燕出てきたよ。

そしてやはり自分のことがしてならない。

不甲斐ない自分を形容する言葉が見つかると、

それを形容できないもどかしさは満たされる一方で、

形容できたからといって自分が正当化される訳ではない空虚さに苛まれる。

燕石といい兎糸燕麦といい、燕がやたら当てはまるのでマスコットにするか?

 

 

  【小半・二合半】こなから

    (「こ」「なから」とも半分の意)

   ①半分の半分。四半分。

   ②米または酒の1升の四半分、すなわち2合5勺の称。

     ―広辞苑第六版より

 

quarterに相当する和語があったとは。

「四半世紀」とかは使うけど「四半分」は聞いたことがないな。

あと「二合半」という当て字も好き。一斗二升五合みたいな。

四半分も二合半も流行って一般化してほしい。

 

 

  【円鑿方枘】エンサクホウゼイ

  円い穴に四角な枘(ほぞ)を入れる意で、

  物事がうまく合わないこと。円枘方鑿。円孔方木。

     ―広辞苑第六版より

 

また鑿さんのご登場です。書けますか?

円い穴に円い枘を入れているつもりでも気づかないこと、あります。

冷静になって後から見ればすぐ分かるのに、当事すると分からないもんですね。

あと形が形だと無理に押し込めば入っちゃうのもなかなか問題。

穴の形に合わせて枘を削る作業もきっと私は苦手なんでしょう。

 

 

  【生慎まし】なまつつ-まし

  なんとなく気が引ける。

 

  【生目覚し】なまめざま-し

  なんとなく気に入らない。

     ―広辞苑第六版より

 

なんとなくシリーズ。どっちも使いやすそう。

「目覚ましい」であるが、

「目の覚めるように素晴らしい」と「目の覚めるように心外」の意味があるらしい。

でも今回は気に入らないほうらしい。

こういう中身がほぼない感想を述べるのは生目覚しいもんだ。

 

 

  【偃鼠飲河不過満腹】エンソはかわにのむもはらをみたすにすぎず

   偃鼠は河に飲むも腹を満たすに過ぎず

  もぐらは河水を飲んでも、小さな腹をいっぱいにするだけだ。

  人もその分に応じて満足すべきであるというたとえ。

  「不過満腹(マンプクにすぎず)」ともいう。〔荘子、逍遥遊〕

     ―新漢語林より

 

耳が痛い。傲りはいけない。

劄記8にも書いたが、私は満足しがたい性分であるらしい。

腹八分で満足すればいいものを、まだ空白があるといって埋めたがる。

あげく腹に入らなかったり、無理に腹に入れて吐き出して空にしたりする。

足るを知れ。足るを知りたい。分際を慎め。

燕石が珠と同じ輝きを求めてはならない。燕石は燕石であれ。

 

 

 

こころが不安定な時分に書いたらどうなるかと思いましたが、

案の定後で見返したら顔を赤くしそうな記事になりました。

しかし、これでいい。これでいいのだ。そのために書くのだ。

胸臆を、肚裡を、心曲を暴け。