十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記234

どうも、十九です。
……完全にこのブログのことを忘れていました。
昨年はブログ設立から1周年まで20日ほどしか更新を忘れなかったのに。
前回の更新すら8月4日ですし、
前回の劄記に至っては7月8日ですってよ。何事。
しかしオンライン授業によるいろいろであるとか、
それに伴う生活の管理不足とか運動不足とか、
長い低気圧やら突然の晴れやら雷雨やらに見舞われましたし、
なんやかんや色々あってこないだ前期授業を乗り切ったところです。
Nintendo Switch のあつ森セットとリングフィットアドベンチャーが、
任天堂の公式抽選販売でなぜか同時期に当選したりもしました。
リングフィットアドベンチャーのおかげで運動不足はなんとかなりそうです。
ヨガマットも購入したのでQOLがものすごく上がりました。


色々ありながらも言葉のネタは探したりメモしたりしてましたが、
なぜかブログのことはすっかり忘れていました。
以前ほど毎日更新し続ける気力というかモチベーションはないのですが、
できるだけいい感じに更新し続けられたらいいなと思います。
そういう感じでぼちぼちやっていきます。




  【逆睹】ギャクト
  (「逆」は事に先だつ意)
  物事の結末をあらかじめ見てとること。
  先見。げきと。
     ―広辞苑第六版より


なんか面白そうな言葉ですね。
先見とか予見とかは簡単な字で表せていますが、
「逆睹」とか書かれるとなんかすごいことやってそうですね。
先見の明を逆睹の明とか言うと故事成語感出ます。逆睹之明。
あとどうやら「逆」には「あらかじめ」の意味があるようです。
なんか意外っちゃ意外ですね。「さからう」の意味もありますので、
結末から逆らってあらかじめ、みたいな意味合いなんでしょうかね。
同様の例がないかと調べたのですがしっくりくるものは微妙でした。
逆名ギャクミョウ」というのがあって、
仏教用語で生前につけておく死後の戒名のことを言うそうです。
これはあらかじめの意味かな…?って感じです。
あと言わずもがな「睹」は「みる」の意味です。よく見る、くらいの意味かも。




  【逆詐】ギャクサ
  他人があざむいていないのに、
  信じないであざむくであろうと疑うこと。〔論語、憲問〕
     ―新漢語林より


疑心暗鬼ですね。本当はそんなことないけど疑ってかかっちゃうやつ。
しかし語釈の言い回しが微妙に分かりにくい感じするので、
調べてみたところ原文っぽいのが解説付きで載ってました。こちらです。


子曰、不逆詐。不億不信。抑亦先覺者是賢乎。
➡子曰く、いつわりをむかえず。不信をはからず。
 そもそもさとる者は是れ賢か。


というのが原文だそうです。
先生曰く、騙されはしないかと邪推したり、
疑われるんじゃないかと取り越し苦労したりせず、
しかも先入観などを持たないで相手の本心に先に気づける、
そういう人が賢者と言えるのだろうな。
みたいな感じの意味です。かなり噛み砕いてます。
「詐りを逆えず」と書き下していることから分かるように、
「逆」には「迎える」の意味もあるそうです。そうなのか。
李白の『春夜宴桃李園序』に、
れ天地は万物の逆旅ゲキリョにして、光陰は百代ハクタイ過客カカクなり。」
という文があります。逆旅、でました。
これは旅人を逆えるもの、つまり宿のことを指します。
分かりやすい!そういうことだったのね。


話を戻します。逆詐の「逆」には迎える意味がありますが、
これはまだ来ないものを迎え入れるという感じのニュアンスらしく、
そこにはない詐りを迎え入れている、
つまり騙されるのを警戒する感じの意らしいです。
あまりこういう心理に陥らないようにしたいものです。




  【躁競】ソウキョウ
  心せわしく、人と争う。人と富や権威を争う。
     ―新漢語林より


いちおう見ない字シリーズの一環です。
「躁鬱」の絡みくらいでしか「躁」って見ない気がします。
意味としては「落ち着きがない」「さわぐ」といった感じらしいです。
「焦燥感」の「燥」はコレの書き換えらしいですよ。
それはともかく、Twitterとかでよく躁競する方々を見かけますね。
富や権威かは分からないですが、マウント取りはある種の権威でしょう。
意見や態度などの相違を受け入れないで頑なに認めず、
優位を取っていないと気が済まないかのような人はまぁいるものです。
上を目指そうとする心意気はいいと思うのですが、
態度や言葉遣いなどによる社会性を欠くと一気に迷惑な人に成り下がります。
えらそうなこと言ってますが私にもそういう節があるかもしれません。
程よく自戒としても心に刻んでおきたいものです。




  【浩然の気】コウゼンのキ
  [孟子(公孫丑上)「我善く吾が浩然の気を養う」]
  ①天地の間に満ち満ちている非常に盛んな精気。
  ②俗事から解放された屈託のない心境。「―を養う」


  【浩瀚】コウカン
  (「浩」も「瀚」も広大の意)書籍の大部なこと。
  また、書籍の多いこと。「―の書」「―な蔵書」
     ―広辞苑第六版より


見ない字シリーズです。加藤浩次とか人名によく使われる印象ですが、
その割にこれを熟語として使っている場面を殆ど見ない気がします。
辛うじて孟浩然とかありますけどやっぱり人名です。
「浩然の気を養う」は慣用句的にこの組み合わせで使うようです。初耳でした。
私もいま課題とかから解放されて浩然の気を養っております。スプラトゥーン2たのしい。
浩瀚の方はなんか字面と意味がかっこいいのでついでに紹介しました。
「浩」はどうやら「大きい」とか「広い」の意味のようです。
そういえばこの字でひろしさんとかいたような。地味に読み方に迷う字でもあります。




  【嘩笑】カショウ
  やかましくさわぎ笑う。
     ―新漢語林より


今日は5単語いきます。ちょい奮発気味です。
こいつも「喧嘩」の並び意外で見たとこがないです。
「諠譁」の表記もありますが、尚更見たことなくなります。
そして、案の定というか「かまびすしい」「やかましい」の意だそうです。
「喧」も喧伝とか喧噪とかで使いますし、うるさい感ありますよね。
それで、笑の字とともに使うとそのまんまの意味になるようです。
道端とか教室とかでやたらでかい声で笑う人っていますよね。
単純に声が大きいだけの印象になる人と、
なんか聞こえてちょっと不快になる感じの人といますよね。
あれの違いってなんなんでしょうか。不思議です。
そういう感じの笑い声を表す嘩笑、流行れ。





ひっさしぶりのブログでしたがいかがでしょうか。
アクセス解析を見てみたら3日にいっぺんくらい1,2人見にきてくれる人がいるようで、
なんだか嬉しくなりました。やっと更新ですよ。ごめんなさいね。
私の趣味を公開することで喜んでくれる人がいるなら幸いです。
そういう感じでまたぼちぼちやっていきたいと思います。また次回。