十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記163

どうも、十九です。
最近けっこう寒くて、昨日は妙な天気で、
でも今日はけっこう暖かかったです。なんでやねん。
天気がなかなか安定しませんね。調子も安定しませんわ。
でも最近は寝起きする時間に前より気を付けていますので、
それなりの睡眠時間が確保できています。
おかげでまぁそれなりに体調も崩れにくくなってそうです。
うっかりするとまだ睡眠時間が減ってしまいますが、
ぼちぼち続けられるようになりたいです。
ひとまず日付が変わる前に寝る。これに尽きます。
で、今はやるべきことの進捗がまずいです。うえー。
でもやはり作業に集中したり行き詰まったりすると、
どうも視野が狭くなりがちですね。もっと全体を見よう。
全体を疎かにしがちなのはまぁ誰にでもありがちでしょう。
プロでも多分そうなることはあるだろうし、
最初からそういう完璧は目指さなくてもいいので、
少しずつ広く見渡す余裕などができるといいな。
そんな感じでゆったり劄記していきます。



  【累牘連篇】ルイトクレンペン|トクをかさねてヘンをつらぬ
  書きつけを重ねて文章をつづる。
  文章が冗長なさまをいう。〈宋・選挙志一〉
     ―漢辞海第三版より


「累」がつくやつばっかり紹介するのもなんか癪ですが、
でもこれは面白いので悔しいけど(?)紹介します。
この「書きつけ」って何を指すんでしょうか。
「牘」は木簡、「篇」は竹簡や木簡、あるいはひとまとめになった文章を指すとか。
篇牘ヘントク」という言葉もあり、これは書物を指すとか。
木簡を指すくらいだし、短い文のことなのかな。そんな気がする。
「書付」もメモの意味もあるし、やはりそういう感じなのかな。
すると短めの文言をたくさん重ねて文章を長くするイメージでしょうか。
原稿用紙〇〇枚以上で提出するやつであるとか、
〇〇字以上〇〇字以内で記すやつで文字数を嵩増しするときに、
「~ということ」「~であるから」みたいなのを使うみたいな感じかな。
本旨からは多分ずれてると思うけれどいいでしょ。
できるだけ読みやすい文を書くよう意識したいです。



  【我関せず焉】われカンせずエン
  「自分には関係がないよ」「自分は知らないよ」の意。我関せず。
  ▷漢文訓読の際に、普通は読まない助字の「焉」を音読みして語勢を加えた訓読法から。
     ―広辞苑第六版より


そんな語法があるんですね。初めて知りました。
「我関せず」はまぁ耳にするけれど、
「我関せず焉」と口に出して言ったら間違いなく聞き返されますね。
文字で書けばまぁある程度の人には伝わりそうな気はします。
似たような働きをする字に「矣」がありますね。
かの有名な「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」という論語の言葉も、
漢文では「過而不改是謂過」と書くようです。最後にいますね。
「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」。すげぇ格好悪いな。いうい。



  【愺】ふため-く
  ①心が乱れる。ふためくとも読む。
   「地には落さじとやうに慌てふためき、油紙もてけんとる〔金色夜叉〕」
  ②静か。
     ―新潮日本語漢字辞典より


「ふためく」って「慌てふためく」でしかほぼ見ませんよね。
こんな漢字を当てることがあるんですね、面白い。
漢辞海も参照すると「日本語用法」と書いてあったので、
たぶん国訓とか国義にあたるやつじゃないでしょうか。
愺恅ソウロウ」という熟語があって、「心が乱れる(さま)」を指すようです。
こういう熟語を畳韻と言うそうですよ。ざっくり言うと韻が揃ってる語のようです。
たとえば「艱難カンナン」や「渾沌」「徘徊」などがそれに当たるそうです。
日本語だと「のらりくらり」みたいな感じでしょうか。ちょっと違うか。
でも「のらり」単体だと意味をなさず、「くらり」単体でも同様で、
「のらりくらり」のペアになって初めて意味をなすんですよね。
畳韻も確かそんな感じの語で、「渾」も「沌」も、
「まざる」「まざってよく分からない」みたいな意味がありますが、
「渾沌」という並びになって初めてその意味がしっかり伝わる、みたいな。
かなり大雑把で正確性に欠ける情報だと思うので適当に聞き流してください。
まぁそんな感じで「愺恅」もたぶん「愺」だけだと意味がハッキリしない気がするんですよね。
でもまぁ日本語的な用法なので気にしすぎることもないか。
慌て愺く、使いたいな。ルビ振らなくてもノリで通じるでしょう。
さっそく辞書登録しました。使う時がくるかな。



  【乎古止点】を-こと-テン
   (「乎古止」はヲコトの万葉仮名)
  漢文訓読で感じの読みを示すため、字の隅などに付けた点や線の符号。
  例えば、多く行われた博士家点はかせけてんでは、「引」の左下の隅に点があれば
  「引きて」と読み、左上の隅に点があれば「引くに」と読む類で、
  その右上の2点が「ヲ」「コト」であることからいい、普通「ヲコト点」と書く。
  平安初期から室町時代まで行われ、仏家・儒家、また流派によって種々の形式があった。
     ―広辞苑第六版より


ヲコト点、名前は聞いたことあるんじゃないでしょうか。
「てにをは」に並んで現在でも「を」が使われる名詞として有名(?)です。
ちなみにというかなんとなく察するかと思いますが、
「てにをは」もこのヲコト点から来ています。

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明経点(みょうぎょうてん)
明経点というヲコト点の書き方のようです。
図はコトバンクおよびデジタル大辞泉からの引用です。
これを左下、左上、右上、右下の角の順に読むと「テニヲハ」になりますね。
図のように「山」という字が書かれていたとして、
その左上に点が打ってあれば「山に」、
真ん中に打ってあれば「山の」と訓読しろっていう記号ですね。
ってことは「山(中央に点)(左上に点)」みたいに書いてあれば、
「山の上に」と訓読しろって感じでしょうか。面白い工夫ですね。
この点の場所を書く側や読む側が間違えると大変なことになりますね。
「川の中に石有り」みたいな文があったとして(既に書き下されてるのは気にしない)、
「中」の左上に点を打って「中に」とするところを、
誤って右上に打ってしまったとしましょう。
すると「川の中を石有り」と読ませることになってしまい、
意味が通じない文になってしまって大変ですね。
こういう状態を「てにをはが合わない」と言うんでしょう。
だから「てにをは」に「助詞(の用法)」や「話のつじつま」の意味があるんですね。
案外こういうのの由来を知らないで使うことは多いものです。
こういう知識は役に立つか否かじゃなくて、
単に知っているというだけで私に満足感を与えてくれます。辞書最高。





ちょっとボリュームの多い記事になったかな。
これで全五十音が10熟語以上紹介されたことになります。
あ、でもいま半ば無理やり「を」を追加してしまったので、
全五十音ではなくなってしまいますね。これはしょうがない。
歴史的仮名遣いで紹介すればいくらでも増やせますが、
そうする意義は特にないと思われるので、
「を」をはじめ「ゐ」「ゑ」も同様とします。
「を」も一応「乎古止点」というそれなりに認知されている言葉があるので、
折角だから掲載しておこうというノリで扱ったものです。
そういう感じの語が見つかれば紹介するかもしれませんね。
それなりに早め(18時くらい)に書き始めた覚えがありますが、
現在は19:15くらいです。けっこうかかったな。
いやでも割と以前から1時間はかかっていたな。うん。
最近は雑記で済ませていたりあまりコメントしない劄記が多くて、
時間をかけて言葉を選ぶことが少なかったってことでしょうかね。
これに時間をかけてもいいのですが、優先するべきものは優先しようね。
そういう感じですので今回はこのくらいにしましょう。また次回。