十九綴

tsudzu-tsudzuri

劄記1

  【劄記】サッキ

   読書をして得た知識や感想などを随時書きしるしたもの。札記。

     ―新漢語林より

 

私は辞書を眺めるのが好きだ。

徒然にページを捲り、なんだか素敵な言葉たちと邂逅するのがとても好きだ。

しかし、どんなに素敵とはいえその言葉たちを使わなければ出会った意味も薄れる。

できるだけその言葉たちを使いたい。覚えていたい。

そんな思いで、素敵な言葉たちについて綴りたい。

 

 

  【憙】むがしび

   心にかなって喜ばしく思うこと。よろこびの心。〈日本霊異記(上)訓釈〉

     ―広辞苑第六版より

 

 心にかなって喜ばしく思うこと。名は体を表すとはこのことだろう。

ただの喜びでない、心からの喜びという感じがする。

ちなみに、「むがし」という形容詞があり、それの名詞形のようである。

 

そういえば、嬉しいとか楽しいとかって、どういう心の動きのことだろう。

広辞苑としては「快い」「心中にわだかまりがない」「愉快である」

といった心の動きであるらしい。

 

歌うことは楽しいが、嬉しいことだろうか。

贈り物を貰うのは嬉しいが、楽しいことだろうか。

この蟠りをいつか明文化したいところである。

 

 

   【狂簡】キョウカン

   [論語(公冶長)](「狂」はやたらに大きい意)

   志は大きいが、実行が伴わずぞんざいなこと。

     ―広辞苑第六版より

 

  【狂狷】キョウケン

   [論語(子路)]理想に走り、かたくななこと。

     ―広辞苑第六版より 

 

 耳が痛くなる言葉だ。同時に、清々しい。

自分の不甲斐なさを形容する言葉が見つかったからだ。

「口だけはでかい」とかよりは「狂簡である」の方が

なんだかスッキリしているし、ちょっと恰好がいい。

それよりもまず行動せよという話であるが。

 

 

   【生片端】なまかたわ

   どことなく欠点のあること。どことなく不完全なこと。なまかたほ。

     ―広辞苑第六版より 

 

今で言う「イマイチ」であろう。

今ひとつ、中途半端、よりは「生片端」はやんわりした風に聞こえる。

ついでに母音が全て a なので発音すると気持ちがいい。

 

 

何を言いたいか全く纏まらないが、これでいい。これがいい。

こうして様々な言葉と出会い、覚え、使うことが私の憙なのです。